〜赦しの実践日記〜

 

 

 

ソフトバンクの孫さんのお話がたまたま流れて聞いていた。

教育に関しての話を聞いていて、本当にそうだな〜とか思いながら話に耳を傾けて聞いていた。

貧乏な画家のお話が妙に響いた。

 

 

「裁き」強化の思考体系自体を手放す思考体系に出会って本当に助けられている。

 

一生懸命生きている人と一生懸命生きていない人の人生で経験していく相違からも

無計画で生きている人としっかり計画して生きている人が体験していく相違からも

人は常に岐路なのだと教えてもらう。

 

知的で美しい言葉を使い愛を大切さを力説し外面的な奉仕活動をし財産・外見的には素晴らしい人脈に恵まれ

親近感があるように振舞いながら実際は、条件がありその条件以下の他者には近づかせない構えがあり私利私欲が強い人の元に

集まってくるスタッフの殆どが、自分の利益がメインの人ばかりが集まっている現象と

お金がなくてもそれを嘆いたり不幸の要因にせず前向きに賢く真面目に生きている人が

他者に人に与える影響の違いを何度か経験を通して見て学んだ。

 

人は、持ち物や人生の成功では推し量れない「尊さ」と「学びの深さ」があるなと痛感する。

 

他者を自分の利益のために利用した結果、その人がどうなっていくかを何度も見てきた。

他者が損失しても自分には損失は起きないと信じて、他者の損失に繋がっても自分の痛みにはならないと思って

行動してるとどうなっていくかも何度もその末路を見た。

愛以外の想念は、本当に何処にも行き着かないばかりか多くの痛みを経験する。

人気者でも他者に冷たい人はいっぱいいる。

 

原則に反して生きてもその結果を体験する。

原則にそくして生きてもその結果を体験する。

 

 

人を利用することに違和感を感じないという様なビジネスマインド自体が低い状態の人を自分で採用して、

その人に「信頼」を要求しても、そもそも実現していくまでに非常に育成時間を要すことは誰でもわかりそうな事実だが

案外私たちは気づかない。これはあらゆるケースに言えることである。

何故、気づきづらいかといえば、物事にフォーカスしているから、自分の選択ミスという事実に結構気づけないのだ。相手を変えようとしてしまう。

自分が「不適合者」を選んでいるのに、相手を「裁き」相手を諭そうとする。

これは、まるで「いたちごっこ」となる。いち早く自分を分析して間違いに気づいて

自分を変化させていくことの方が有益である。

 

自分の現実が辛いことが多いと、案外と自分の間違いに気づきづらい。

例えば、男性選びでつまずいている人がいるとする。

男運が悪い人がその不運を嘆いても何も状況は改善されないことは言うまでもないのだが

辛いものだから、外的現象の方にフォーカスしてしまい、自分が間違えているから辛い目になっていることに

本当に気づけない現象となる。

これは自分を見てもそうだが、苦労から中々抜けれないで引っかかってしまっているケースの特徴かもしれない。

コースのおかげで、自分に原因があるというところまで自覚が戻ってくるところまでいける様になったことで

問題に対して適切な対処もできる様に成長して、人生がドンドン充実していっている。

逆に原則があることに気づく様になった。

 

実相世界と言われる心の境地、現実に辿りつけるかは、もちろんのこと不明だが

この学びの道に出れたことは本当に嬉しいし心から感謝している。すごく生きやすくなったのだ。

問題に対して、この問題は、どこのレベルでどの様に解決していくことが適切なのかということが見える様になってきた。

問題の原因がどこにあるかが非常にわかる様になって適切な対処の仕方も随分と行動できる様になった。

 

もう6年以上前の話になるが、セドナからモニュメントバレーに車で移動していた時の話だ。

セドナからモミュメントバレーまで私とパートナーの運転だと6時間半で着く感じなのだが、

モニュメントバレーからセドナに帰る時に「眠気」という「障害」を二人で創意工夫して協力しあって切り抜けた経験は

今でもいい思い出である。

 

自分の思い出を書き出すことによって、案外「ヒント」がそこに隠されていることが多い。

その経験をするきっかけは何だったのか・・・

どう生きたらいいかの答えがもう出ている。

 

難しい人間関係に対してビルさんが「他の道があるはずだ」と言い出した時、ヘレンさんが「協力します。」

そこから「コース」の書き取りが始まった話は、

何度も困難な状況に遭遇する度に、互いを攻める関係から一歩退いて

二人で一致協力して抜けていくことに同意して行動していった時に経験していくものはどうゆうもので

そう生きることは、自分を何処に導くか思い出させてくれるエピソードだ。

 

実践ができる様になれば、外的状況はよくなっていく。という様な価値観を採用してしまうと

非常に生きづらくなっていく。

外的状況というのは、コロコロ変わり、そこを自分の幸せの源泉としていたら

常に心はアップダウンしていく以外なくなる。

 

物事の困難を自分の苦しみの原因にすると、対人関係が破綻していく。

 

原則に則して生きることが一番安泰だなと思う。

 

私の身につけていたパラダイムは、不幸を持続するためのパラダイムであり、

それに気づいて手放していく立ち位置までくるだけでも容易なプロセスではなかった様に思う。

不幸でいるのは簡単にできるが、幸せで生きるのは、すごく「努力」がいるな〜と思う。

悪口も意識的に自分がやめたいと思わない限りやめられない種類の性癖だし

しかも、「やめたい」って思っただけでやめられる様な「癖」でもない。

忍耐強く「やめていく」以外「やめていけない。」

 

告発間みたいな人を見たことがあったのだが、行動レベルの他者の不正を裁いている人が

どの様な人生や人間関係を体験しているかを観察していると「裁き」の無益性は明らかである。

だから、何が何でも「裁き」というのは手放した方が得策だ。

 

「裁き」を手放す事は、他者の愛のない行為を肯定することとも違うし、

自分にひどいことをした人の行為を水に流してその人と和解することでもない。

現実面で、問題のある行動を起こす人に対処しなくていいということでもない。

 

神の法は絶対で灯台の原理と同じで、原則に反すれば、自分が破れるだけなのだ。

この原則が最後には自分を救ってくれる。

 

 

最後まで通読ありがとうございました。今のあなたの何かのお役に立ったり響き合うものがあったら幸いです。

 

 

 

        

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