〜赦しの実践日記〜

 

 

 

UFOの切り取り写真

知人がカシャっと撮影した写真だ。

妙に笑いがこみ上げてきてしまう写真で元気になる写真の一枚。

 

真実以外の「分離」という想念の幻想の現れ方はいっぱい。

心が癒された反映しとしての経験もいっぱい。

 

自分にとって、幽体離脱でUFOに乗った経験などは、

被害と加害のメリーゴランド以外の現実が存在しているという意味合いにおいて

非常にエキサイティングだった。

自分が変われば、もっともっと違う豊かな経験をしていくということは非常に朗報だ。

 

私は、たまに、今の次元軸と他の次元軸の体験が同時に体験として起こることがある。

五感に戻った瞬間に9割以上消えてしまうことも多い。

でも鮮明に残ることも多い。

他の体験との壁が薄くなって、他の次元軸の体験をすることも

私には、大きなサポートになっている。

 

コースでいう忘却のベールと言われるようなものだろうか・・・ものすごい外れて

構図が見える体験が訪れることがある。

ある時、体験から見えたものは

身体は、心の奴隷に過ぎないことに気づかされるような体験だった。

そこから見える視点からは

心は神との分離を望んでおり

この世レベルの苦しみなど取るに足らない問題に過ぎないことに気づかされるような体験だった。

この世にいると思っている私にとっては、この世で自分が感じているように感じている苦しみなど

この意図を知ってしまったら、取るに足らない経験でしかなかったのだ。

結構、ショッキングな経験で、自分を被害者だと思っている側からすると、

「ふざけるな〜〜」と避難の矢が飛んできそうな情報だが、こうゆう情報を見せられて体験をすると、

本気でコースレベルの「赦し」の実践の情報が一体どうゆうレベルの情報で助けなのか、

知らしめられるような体験だった。実践と言ってもレベルがあって学びと言っても奥行きが深い。

 

レッスンは、自分が学びきるまでいっぱいあって

奥行きもあって

自分がわかっていないことがわかるようになって

その学び終われば、次のレッスンと進んで行く。

 

体験にも「質」の違いがこんなにもあって「奥行き」もこんなにあるのか〜〜と思う。

 

ボスベイビーという映画があるのだが面白いから一緒にみようと誘われて

見たのだが、「双方の損得の一致で協力し合う友情ストーリー展開」から

最後は一緒にいたいと思う相手になっていた・・・という話なのだが

この世で私たちが相手を愛するのは、その人から、うばえる何かがあって

手に入れるために愛する。

このことについては、「奇跡講座」の前書きの中に早速出てきているが

こうゆうことが事実としてわかっていくプロセスは

事柄が起きているレベルで

他者と自分という関係性の中で、

どんぱちやって、「自分が正しくて相手が間違えている」という感情のラットレースの中に

身を置いている時には、気づくことのない道であり興味も持てない体験で現実かもしれない。

 

 

「赦し」を習慣化していく努力が希薄になりがちな傾向の時は

「赦し」を習得したい、実践できるようになりたい!!と思うよりも

むしろ、自分で被害者の立場で語ったり感じたりすることを

何故自分がやめていきたいのか!!というところを自分で明確に腑に落としておいた方がいいかもしれない。

そのことの価値を明確に表面化させて方が行動しやすい。

 

習得していくための「日頃の自分の実生活」という意味で、

自分の日常を「赦しの機会」または「心の選択教室としていくためには「赦し」を習慣にして定着させていくには

逆に、「赦し」の効果やメリットがわかった方がやる気になるかもしれない。

 

 

苦しみの原因の「起点」を「外的状況」から「心の中」にあると思い出していくまでのプロセスは

一朝一夕では当然ながら無理。

 

 

実践していく動機が自分自身に明確じゃなくても

数年は、できるかもしれないが、自分の在り方として自分に定着させるまでは難しい。

(これは何事も達成していく際には同じだと思うが)

 

そもそも、ここまで染み渡って浸透しきっている他責の生き方を

やめていくのは、よほどそうしたい願望があって興味がなければ続けられるようなものではない。

現実がよくなっていくような「助け」では全くないので、尚更だ。

気づけば、興味が薄くなり、気づいたら、忘れてしまうようなものだろう。

 

 

現実が望むように変わった方がエキサイティングで

「銀河鉄道999」のラストを何度も客観的に経験して、

分離を選ぶことはメリットあるように見えるが、惨事にしかならないことを

経験をして「もうやめよう」と腑に落ちない限り、分離の夢から覚めたいと思うことなど本当にあるだろうか・・・

痛みを感じながらも、痛みを世界のレベルに見て、

いくらでも他者を悪ものにして生きることが可能になっている現状で

(しかも私たちは、仲良しとそれ以外を作り自分の範疇にいれずに済む他者というものがいっぱいいて、

幾らでも他者の中に罪を見て攻撃できる仕組みになっている)

果たして、そんな状況で本当に攻撃を手放したいと望むだろうか。

本当に「攻撃」は手放したいものなのだろうか・・・

「不快感」だけは、どうにか軽減させながら、攻撃については中々「手放したい」と思えるところまでは

思えないのが現状なのではないだろうか・・・。

だからこそ、私たちのあり方の隅々にまで染み渡っている考え方のパターンが

どのような構図になっているのか、よく熟知していくことで

手放したいと思えるところまでいけるのだと思う。

全体像が見えてくれば、絶対やめようという動機になるからだ。

「これを食べたら綺麗になる」と言われて、可能性を感じなければ、誰も行動に出ないだろう。

「赦し」の実践も同じことだ。

 

 

肉体だと自分を知覚している状態の私たちにとっては

外側の状況がスムーズで支障がない時ほど、コースの教えている「赦し」の真価や価値など

どこかに行ってしまうのが大半のように思う。

 

 

自分が被害者でいなくてはならない理由が自分で見えるようになってくれば

この世レベルでの他者を加害者に見立て攻撃する行為自体をやめる動機に繋がり、

被害者的見地で語る自分を止めて、

「赦し」をしていくことが自分の日常でやっていこうという気になって「赦し」が優勢になっていくが、

そもそも、被害的見地で語ることのデメリットについて自分で本気で腑に落ちていなければ

こんな途方もない抵抗が伴う「赦し」など誰がするのだろうか・・・したいだろうか・・・

スピリチュアルに興味を持つ多くの動機が現生利益な訳で

コースを実践して得られる「心の平安」と「したい体験ができるようになる可能性を感じる情報」では

明らかに、支持率が高いのはどう考えても「したい体験ができるようになる可能性を感じる情報」ではないだろうか。

 

 

突き詰めてしまえば、加害も被害も自分で作り出している点や「罪」も愛と分離したくて

作り出してしまっている「考え」であり

そもそも、そうゆう視点で見ていくと明らかに

この世界をみれば、不正を罰して(肯定したり野放しにするということではない)晒し者にして嘲笑する習慣には

多くが疑問を感じなていない現状からも合点がいく話だ。

分離を実在のこととして思い込んで

他者の利害と自分の利害は一致していないし影響がないと思い混んでいる心にとって

晒し者にされている姿を見て、せいぜい思うのは

罰を恐れて、我が身を心配する程度のように思う。

分離の信じるている心の中は、このような状態が普通であることが理解できる。

 

分離を信じる決断の反映をみれば、

それがどれほどの痛みを経験することになっているかが一目瞭然であることに

自分で気づくまでに途方もない時間を要する。

個別性を体験することは、こんなにも大きな代価を支払っているのか・・・

と自分で気づけるまでに

どれだけの思考逆転のプロセスを通過していくことだろう。

これに気づくまで、人間関係や外的状況自体が問題だと思っているから

この世レベルで解決しようと思ってしまう。

 

 

空虚感は、社会的成功では埋まらず、社会的成功を収めることで、それによる充足感は

それが続いている間しか経験できない。

継続出来なくなった瞬間に、「終わる」というのが「特徴」である。

内面的な充実感を充実させて、それで自分の好きなことをした方がよほど充実する。

 

そもそも、何かがないと「幸せ」でいれない「幸せ」というのは、不安定すぎる。

 

 

この世界で起こっていく対人関係の間で起こる「葛藤」が「赦し」が必要なタイミング

ちょっとずつちょっとずつ

「赦し」をしていくことで、いつしか見たこともないような経験をする。

「赦し」が連れて行ってくれる体験は非常に満足感が高く面白い体験なので

もっともっと経験していきたい。

裁きを手放していくことで経験していく現実は

今まで自分が経験してきた経験とは随分違い

そうゆう意味でも見たことも聞いたことも余りない旅をしているようだ。

 

 

 

世界を変えるために自分を変えるのではなく

自分の心の中の教師を変えることで行いが変わっていくことをコースを通して感じている。

マイケルの「マインザミラー」の中で発している音は触れていて

歌詞では「世界を変える」というフレーズが出てくるけれど

「世界を変える」ために自分を変えるという意味合いよりも、

「自分が変わるということの大切さ」の方が伝わってきて

本当にそうだな〜って思うし

個人的に好き曲の一つで、元気になる。

行いを変えるには、心の中の教師を変えない限り行動レベルでの変化を経験することはない。

しかし心の中の教師を変えることを学ぶ時、行動レベルにそれが現れ

その経験は非常に圧巻である。

 

最後まで読んでくれてありがとう。

 

 

 

        

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