〜赦しの実践日記〜

 

 

 

 

葉山にあるお気に入りのパン屋さんの一つブレドール

久々に買いに行ったら大きいタイプが終了して半分の大きさになっていた。

お外が暑かったらから店内でいただいた。

でも味は相変わらず美味しかったぁ。嬉しい。

 

距離関係なく、「自分が食べたいな」って思ったことに素直に動ける種類の「豊かさ」も豊かだなって思う。

(もちろん、私にとっては、という個人的な話。)

個人的に「身軽さ」は、豊かな経験だなって感じている一つである。

その生き方を学んで身につけて私は生きやすくなったので本当によかったなって思っている。

 

もちろん、これはコースの「赦し」の習得や実践と習得は別次元の話。

 

しかし、行きたいと思う場所に行きたい時にいくというのは、自分にとっては好きで有意義な時間の過ごし方で生き方の一つである。

 

逆に私の場合は、コースを学んだお陰で(当然だが今ももちろん学びつづけている身分であることはいうまでもない)

この世のことについてやスピリチュアル実践についてもレベルがあることについて知れるようになって

(これは優劣や高い低いという意味のレベルの話ではない)

逆に非常に生きやすくなっているのと、幸せになっていくプロセスを歩めるようになっているという結果となっているように思う。

 

しかし、この背景には、「コースについては用心深く学びを進める。」ということが自分の支えになってきている。

コースの説く「赦し」の実践に関しては、受講者側の曲解が多く(コースの市場を見てもそれは明らか。)非常に注意が必要だという注意勧告を

私は重要に感じた。(曲解と、正しく学ぶことの相違の歴然の差については、公で具体的に語られることは殆どない種類のものだが

でもその違いは、自分でしっかり見る気になったら、どうゆう風に違うのかは自然とはっきり見えていくようになっていける種類のもの。)

 

後々になって曲解ついての「助言」を咀嚼しながら慎重に自分に落とし込みながら、

コースの言っていることの方に耳を傾けて「何を言っているのだろう・・・」って

自分の方から心を開いて素直になることを常に心がけてきていることで

結果的に自分が非常に救われている結果を自分で経験していっている現状から

よかったなって思うし、真面目に生きることや素直に生きることの重要さ尊さ非常に感じる結果となった。

 

私の場合は自分自身の病んだ(私にとっては、人間が人間を悪く思ったり悪く言ったり破壊し合う姿は正常ではなく異常に感じていて

そうさせる根源とそれに対しての根本の解決方法があるなら知りたいと思っていたので、

ある意味この点については自分にとっては本当に非常に急務で必死だった。)心を本当に癒したかった。

逆に、だからこそ、正常さに帰還できるプロセスの道が見えてその軌道に乗れるようになってきたのだろうと思う。

この当然の帰結という結果から、全部本当に自業自得であるという点や学びたいことしか学べないということ。

全ては自分に責任があるというシンプルな話だと

この体験からも大きく気づかされた結果となった。

 

例えば、私たちは、裁くことで余計疲弊してしまうという事実について中々気づきづらいのだが、(むしろ自分が裁いているから疲れているということに

気づかず、他者の悪態や自分の外的状況の中に疲弊の原因や問題があると思い込んでいるくらいだ。)

人のことを悪く思ったり言ったりする習慣を絶対やめて手放した方が何故いいのかということが

どれだけ本気で腑に落ちているのかは重要。

その「無益性」が実感できるところ・気づけるところまで、

自分がいかないと、見えないわけで、見えなければ当然だが、それをやめようとする実践意欲頻度は下がる。

だからやはり、どんな実践でも、自分が「本気」じゃないことは自分が習得しない。

何故なら、本人しかできないし、本人しか自分の抱いている想念や心の中のことはわからないし、その人自身に選択の力があるからである。

 

 

無知は苦労が多くなる。(自分の経験から)

でも学んでわかることが多くなっていくと、この世界は実に楽しく過ごしやすくなっていくことも知った。

感情のレベルや事柄が起きている被害者のレベルの視点で語っても、どんなことについても一切改善していくことはないことも非常に腑に落ちている点だ。

どれだけ、その自分(その自分とは感情レベルや事柄が起きている被害者の視点での表現にいち早く自分で気づいてやめていく努力をするということ)に気づいて、

冷静になって真理にアクセスしていくことを選ぶかが鍵である。

 

私たちは「不快感」に関して「それしか、お前たちは反応の仕方がないのか!!」って思えるほど「隠蔽」「反撃」「攻撃」の反応の仕方が中毒症状。

 

「攻撃された」ことに関して「我慢」という反応は、「自分が傷つけられた」という感覚を温存する手段だし、

そもそも「攻撃された」という感じ方が既にコースでいうところの「自己概念B」の視点からの感情表現でしかなく

分離強化のメカニズムに従っている心の状態。

 

「攻撃すること」は、私たちとって「馬鹿のひとつ覚え的反応」。

自分を見ていても、「攻撃」はやめたくても

一足飛びにやめられるような種類のものではなく(これは周りを見てもそれは一目瞭然である。)

しぶとく中々止められない中毒反応であるから、だからこそ、しつこい毎日の練習が重要になっていく。

 

コースのすばらしいところは「攻撃の想念」を「手放したい」と思えるところまで導いてくれると言う点。

これってすごいことではないかと思う。

どうして攻撃の想念を抱いていることは、やめたほうがいいのかというのが

非常に見えるところまで導いてくれるという点が非常にありがたいことだと思う。

(だからこそ、手放していけるようになるからである。)

そして自我(分離していたい心)の目的は

分離を強化していくことだから、

何故、赦せないのかも非常に明確に自分で自覚していけるようになるので「赦せるようになっていける」点。

 

コースの「赦し」というものを実践して経験していく恩恵は

余りに、この世界で提供されているスピリチュアルの道とは大きく異なる点にも気づかされていくのだが

その違いも非常に「なるほど」という感じで非常に自分の中の風通しがよくなっていく。

 

とにかく、全く違うのである。

 

本当に生きやすい。生きやすくなっていく。

 

でも、コースは、この世界の中で豊かになっていくこととかそうゆうことを助けている教本ではないので

その点には本当に留意が必要だ。

(スピリチュアルに興味のある人は基本、自分の現実をよくしていくことに興味があることが基本だと思うので)

私の場合は、

コースの癒しを受け入れられる下準備として、違った角度での癒しを十分に経て

そのレベルではどうしても取りきれない癒すことができない本質的なものの癒しが必要だったので

本当にコースのような癒しに出会えて深いところから癒されて

やっと満足が増幅していくような航海に乗り出せた感じだ。

私が求めていた幸せはこの世界にはなかったので、この世界で幸せなるスキルや考え方を学ぶために投資して教えてもらって模倣しても

結局、間違ったところに早く到着するだけで、結果的に満足が得られず、常に欲求不満になってしまう状態だった。

 

 

やっと物事を通り過ぎて、中心に仰げる頻度が本当にまして

風通しがよくなっている。

光が中心に輝いている。そのことを感じられるようになったことは本当に大きい。

無明の状態というのは本当に生きづらいからだ。

 

※コースの「赦し」というものは、簡単に学ぶことができないと思った方がいい→何故なら根本が分離していたいから。

 

 

正確に学び実践している熟練者の方から冷静で堅実、的確なアドバイスを加味して

自分自身のコースの学びに関して客観的に見て冷静に踏まえると

スタート近くの学びの身分であると思っている。

(そんなレベルでも相当深い癒しを経験できるのだから本気でこの学びの恩恵はやる価値があると思う。尋常ない苦戦を伴うが。)

 

私が注意しているのは、「自分が知っている」と思っている状態や「いけている」「いい感じ」などの

フィーリングを絶対逃さないで正直に直視すること。

このことに関しては、本当に重要で、これは絶対怠らない方がいい。

「赦し」の習得に限らず、「初心」は永久に忘れべからずだなって思っている。

 

比較・攻撃などなど手放し上手になっていくと本当に幸せでいれる。ので本当に有益である。

 

私はこう思っている。「自分は正確に理解している」と思うよりも「正確に理解したい」と思って

日々生きた方が「健全に生きれる道」を歩むことができて、尚且つ「幸せに生きれる」と。

「傲慢さ」や「攻撃」は「幸せに生きる」には、本当に不必要で邪魔になるもので、持たないほうがいい。

 

それから、他者の「先導者」になろうとすること。

これについての「無益さ」については、コースを学びながら、

そうなりたい姿とはどうゆう姿勢なのかを見ることで(ジャンル問わず)

その事実性を体験を通して実感し

手放していった方が得策な「生き方」だと確信するに至った。

 

実際、このことについてわかるようになって、こうゆう生き方は率先して放棄したにこしたことはないものとなった。

自分の中で、そうゆう生き方に効力を感じている自分を恥じて、その生き方を隠し持とうとするのではなく、

率先して判断なく見つけ出し手放していっていくべきものとなっている。

自分自身が、その生き方には効力や有益性がないという事実を実感するようになって

そうゆう「生き方」自体の手放し方が上手になって

実際幸せになっているので、他の人の先導者になりたくなる(神のようになりたい願望)ことを自己達成しようとすること自体が、

「毒」にしかならない「幸せ」には「不必要」なものだったんだと深く実感する。

(分離強化の思考(悪魔の思考)は、それが魅力的で自分が繁栄していくように見せかけるが。)

 

自分はその人よりも知っていて、その自分として、相手に話してしまう姿は客観的に見ていると

一目瞭然で、誰も何も幸せに行き着かないことが明白。

 

しかし、話してる当人の自分だけが「気持ちよくなっている」だけで相手も自分にも益がなく

裸の王様のようなものである。

だからこそ、表現するよりも手放すことの方が自分にとって確実に遊泳機で得策なのである。

 

 

 

マトリックスという映画のワンシーンで「私たちを駆り立てるのは疑問よ。疑問があなたをここへ連れてきた。」

というトリニティーのセリフがあるのだが、

「平和じゃないことはおかしい」

「なんでこんな風になっているんだろう。」という「外的状況を見て感じる疑問」が私を内面探求に動かした。

この探求を小学前から始めて「原因が自分の中にある」と自分で気づけるようになるまで人生80年と見て半分を費やした。

確かに熱心ではあるが、決して優秀ではない。

でもどんな劣等生でも努力していけば、時間は、確かにかかってしまうかもしれないが

必ず知りたいことは知ることができ、習得したいことは、最後には習得してしまうことは可能だとわかって自信に繋がった。

(これはどんな分野でも言えることだと逆に思うようにもなった。)

(そして、「最後には習得してしまうことは可能だとわかって」とは、コースを習得しているという意味ではもちろんない。)

 

一見能力が低くても努力に勝るものはないな〜と思う。努力は能力を超えていける。

どんな境遇でも、 どんな年齢になっても、 自分が望めば、

コースの「赦し」でも「この世をよくしていくための方法」や「実践」でも

その生き方を学び習得していくことができるということを経験から実感する。

(習得していくまでには時間を必要とするかもしれないが)

 

 

 

コースの言っている「内的状況の外的映像」を理解するまでに、どのくらいの月日を要したことだろう。

どれだけ「赦し」をしてテキストを読み、解説書を書き起こしたり読み込んだりしたことだろう・・・

 

自分が抱いた分離の想念を深刻に受け止めることにして (なぜなら、独立したいから)

神と分離していたい、特別な存在でいたい心は

更に、罪ということにして(実際に起きたので、要は正しくない行いをしたということにした)

罪という概念を作り出して 更に、分離をもっとリアルなものにしていくために、

加害と被害を作って、更にその罪というものを加害という立場の中に見て

自分を被害と見るという構図の中で分離の想念を確固としたものとしていく試みをしているという心の状態が、

そっくりそのまま世界自体ということだし、

「人間関係そのもの」ということだということを言っているということだと理解できるまで容易ではなかったが、

逆にこのプロセスで

本当に、理論の正確な理解がきちんとできていくことを自分で学び、本当に嬉しかった一つだった。

 

 

ニューエイジ系(私が学んできたもの)で言われている「内的状況の外的映像」と言うのは

あくまでも自分の心のレベルで作り出した「自己概念B」としての視点であって、

コースが言っている「内的状況の外的映像」とは心の中の状態がそのままそっくりただ現れていると言う意味の意味。

そのままそっくりというのは、分裂を4段階で解説してくれているものの中で解説されている、被害者となるのも、望んだとおりだし

(何故望んだ通りかというと、分離を確実なものにするための試みとして、

分離の想念を「罪」としてしまって、なおかつ、その罪を被害と加害の中の加害の中に見て、

自分が被害となることで、自分がしていることを忘れるという構図。)

分離をしていたいから、心のレベルで分離の想念を「罪」として、加害と被害を作って

「罪」をその中に見ることによって、自分の望み(神から分離したい自分の願望)を叶えている状態ということ。

だから、この世界の中の被害的な経験などは、自分が意図して望んで自分で作り出した心の中のものが、

ただ世界に現れているし、人間関係と思えるものでしかない。ということ。

 

それ以外の多くのスピリチュアル系は、単に自己概念Bの視点での「内的状況の外的映像」で全くの別物。

(別物だとは知ってはいたが、それがどうゆうレベルでどうゆう意味で言っているのかを正確に理解したくて

自分の日常で取り組んで、このことを理解するだけでも1年。

知って思うのが、とにかくコースは、現生利益などワクワク

系のスピリチュアルと全く違うだけでなく

言っている規模が途方もなく全く違いすぎて、本当に実践してきて知れてよかったなって思うし

コースの言っている「内的状況の外的映像」の意味まで理解できるまでにも

本当努力だなって思うけど、本当とにかく楽しい。

 

(断っておくが、これはニューエイジ系のスピリチュアルを人生に取り入れて生きることが邪道とかいけないとかレベルが低いとか

そうゆうことでは一切ない。ただ、コースを学ぶなら、これ系は、完全にリセットしてリンクさせないで学ばないとコースは学べない。)

 

 

 

「思考の逆転」というDVDの中で説明している

世界の中で自分と他人との間に起こっていることは、

心の中で起こっていることの反映であると言う説明の意味は、

4段階の分裂という言い回しで解説されてるのだが、自分がわかって初めてあの説明が

それを説明していることがわかるパラドックス。

世界というもの自体が自分が心で、作り出しているものがそのまま

現れているというだけ。

(分離したいから、想念を深刻に受け止めて、それを罪にして、更にその罪を加害の中に見ることが、そのままそっくり、この世界だってことということ。)

これは解説されて理解できるものでもなく、自分で実践して逆にわかっていくほかないものなんだとも思った。

 

これについてのシェアーを求められて、シェアーしたのだが、どれだけこれについて説明しても、

普通のニューエイジ系の「内的状況の外的映像」での視点やコースでいうこの世レベルでの自己概念Bとしての

視点で理解してしまうので、これについて、理解していくにも理解のプロセスは何段階も赦しの実践が必要だということや

(自分の経験からも、そうだったので)この理論への理解は、自分の日常で実際に「赦し」を実践して

思考をひっくり返していく中で私たちそれぞれが適切なタイミングで理解が起こっていくもので

説明を聞いても、すんなり理解したり、見えてくるような種類のものでもないこと。

だからこそ、コースは日頃の自分の日常という現場で実践することが大事で聖霊を教師とした独習が基本の意味を改めて深く感じる。

(だからと言って、わからないことを聞いちゃいけないということではなく聞かないとわからないこともある。

そしてまた、自学自習のカリキュラムだが、一緒に学びシェアする出会いや仲間がいることの素晴らしさはいうまでもない。)

そしてまた、独習という柱に支えられて、それをベースとしての補助として「セッション」を活用する方が

より有意義だし、効果的だし相乗効果。

 

(これは、仕事や勉強と同じで、学校や塾だけいっても筋トレ不足で、家で予習復習を勤勉にやり続けて

初めて志望大学に入学できる可能性が上がるし、仕事などもどれだけPDCAをしっかり自分ができるかで

仕事の精度や見えていくものが変わっていくのと同じこと。本当に努力だなって思う。)

 

コツコツ「赦し」をしていくと本当に楽しい経験が起こっていく。

 

調和のところ以外で動くことにも意味がないことがわかっていくって豊か。

幸せに生きている人は、やっぱり幸せになる生き方をしている。

不幸に生きている人はやっぱり不幸になるような生き方をしている。

幸せに生きるには本当に努力がいる。

 

 

自分が心だと思い出していない場合の人の基本姿勢をわかっておくことが大切

基本人は人を悪く思い、人を悪くいう生き物。

自分で意識的に、人を悪く言うことをやめたいと自分で思って努力して行かない限り

被害的視点からの表現は際限がない。

 

しかしまた、何故「悪く思ったり」「悪くいうのか」の原因を自分で知って、尚且つそれがどれだけ無益かを自覚しないと

やめていくことの価値を感じられないので、やめようと思わないのもまた事実。

でも、悪く思ったり、言ったりすることが定着してしまっている在り方の根元に取り組む努力していくと

当然の帰結として、悪く思うことをやめていくことに繋がり本当に幸せになっていく。

 

最後まで読んでくれてありがとう。

 

 

 

        

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