〜赦しの実践日記〜

 

 

 

吉野山にお散歩&瞑想しに行ってきた。

桜が有名ですが、あまり人がいない吉野に日頃ふらっと訪れてお散歩するのも好き。

 

 

最近も、聖霊に依存した学びを「奇跡講座」だと思って学んでいる方のセッションとなった方の話を耳にすることがあった。

聞くたび、ちょっと実際にそんなことってあるのかなって思うけどあるんだなってほど理解の仕方がズレているパターンで

しかしながら、判断や裁きを手放していく癒しの道への抵抗は尋常じゃないので、書籍の中で語られている理論について

違うように理解してしまうことも抵抗の一つの一形態なんだなと思うし

それが「違うんだ」と自分でわかっていくまでのプロセスはそれぞれとなるし

でも結局、苦しみが消えていかないという結果で、それが「違うんだ」と知っていけるわけだから

教える側も教えられる側も(その両方が聖霊の生徒でしかないので)人間の教える立場になっている生徒がヤキモキしたり何も焦ることもないし、

本当の正解のゴールの道を自分たちそれぞれが選ぶまで自分の修行は続くのだから

本当に、思いわずらうことなく、それでいいのだなと思う。

 

 

ある開催したセミナーの質疑で

痛みを消してくれる聖霊だとか、不快感を感じたら、自分で何もしないで、それを聖霊に(所謂、聖霊に丸投げ)差し出す実践したり教えたり、

(または相手がそうゆう風に勘違いしてしまうような説明を学習者が学習者にしてしまったり・・・)

そう言うのをコースだと思ってコースを学んでしまって混乱状態に陥っている方に

自分でしなきゃならない部分についての「赦し」についての具体的説明で

自分でやらなきゃいけない部分というものを

自動的に吸い寄せられるところまで(磁界の端まで)は「自分でやる」という例え話は

実践に的を得た話だけでなく非常に実践に即した「助け」であり解説だった。

まさにそんな感じだし、私は、その感覚が非常に好きである。

 

 

考えてみたらこのサイトを立ち上げてどのくらいだろうか・・・

本当にお陰様で「素敵」な出会いを経験をさせてもらっている。

 

セッションに惹かれて申し込んでくれる方も、率直な方との出会いで

お話を聞いていて、胸がいっぱいになることがある。

すごく正直で心(人間)って捨てたもんじゃないよなって思う瞬間である。

 

実際「向き合う」とは言葉で言うほど簡単ではなく本当に甘くない。

これは実践していけば、非常にわかる。

自分が信じ込んでて見たくないってしてしまったものを直視て間違いだったと気づいていくプロセスなので

抵抗に非常に遭遇していくプロセスなのでそうゆう意味では信じることや勇気や根気強さが本当必要になっていく。

愛や光にフォーカスしていく作業は自分の嫌なものは見ていく必要がないのである意味

(痛みの原因の根元に向かわないので)、強烈な信念からの煽りも抵抗もなく、結構スイスイいけてしまうものだが

浮上してくる感覚に向き合っていくとは、激しいさに向かっていくようなものだ。

知覚が事柄にべったりくっつけている状態だったり、向き合ったがゆえに暴君のよう反応をして

それを表現してしまったり・・・

それでもなお、こんな風に嫌な感覚を超えてオープンにしていく。

このタイミングでこんな風に自分だと思い込んでいるものなので向き合うのが大変なのにも関わらず

笑い飛ばせる位置まで帰還しようと正直に自分に向き合って生きている人と出会えることに心から感謝している。

個人セッションを通しても本当にいい出会いや体験をさせてもらっている。

 

そもそも、このサイトを立ち上げやセッションを始めた動機も、

自分が救われる経験をし始めた時

自分の様に

「状況の中に自分の苦しみを完全に見続けることをしてきて苦しみを助長させてしまっている人」

が、いるに違いない。

そして、スピリチュアルに興味を持って実践してきているけど、

どうも自分で「そうゆうことか!!」と理解してしっかりこの世界で実践して生きていけるところまで掴みきれず

苦しみの原因を未だ見つけられずという人がいるに違いない。

その人自分が出会ったら、その人には渡せるものがある。

私はそんな風に思った。

 

そして、私の様に解放を求めて一つの助けの道である、「奇跡講座」に出会ってアクセスした時に、

完全に無理でもできる限り「不必要な混乱」をしないで

独習の軌道に乗れる情報(JACIMより発信されているワプニック解説)にアクセスしていけるような情報サイトがあった方が嬉しいと思い

自己満足レベルではあるのだがこのサイトをくつった。

そんなレベルのサイトではあるが、気づけば、「いいね」がもう直ぐ300。

「いいね」と思ってくれて押してくれた方に感謝です。

ありがとうございます。

 

 

学び合っていけること、一人じゃないこと、赦しあっていけること。

赦すものはなく赦される必要がなるのは本当に自分だけなんだなって思う。

 

 

手引書が肉厚で内容が濃くても

学ぶ側がそれを読みこなせない場合は、完全にヒューマンエラーを起こす。

 

私は最初、曲解されている現状がひどいことは「言うほどそうでもないんだろうな〜」って思って信じていないに等しかった。

その現状の巨大さのその意味を本当に知っていくには数年かかったことだったが

私自身は、そうゆう方と殆ど接点を持ったことがないので余計だったのかもしれない。人づてに見たり聞いたり

みんな公では絶対に語ろうとしないテーマで、水面下でやり取りされたり囁かれている様な種類のものだった。

 

「奇跡講座」という「取説」を正確に読んで理解して実践していくことで

「奇跡講座」が導こうとしているゴールにいけるわけだから、

まさにこんな感じ

 

東大入試の問題で

下の絵に描かれた状況を簡単に説明したうえで、それについてのあなたが思ったことを述べよ。

全体で60〜80語の英語で答えること。

 

というのがあって、「状況をありのまま正確に説明する能力」「自分がその絵を見て感じた感想」というのは

全く別次元。東大の問題では指示されている意味を理解できても、ことスピリチュアルとなると話が別になることが多い。

「奇跡講座」はなおさら誤解されやすい書籍。

 

この東大の入試問題で指示されているのと同じ様に「奇跡講座」も自分の解釈で学ぶのではなく

まず「奇跡講座」自体が何を言っているのかということを自分の解釈なしで正確に理解していくことが大切になっていく。

 

この前提を明確に理解している状態で勉強していかないと、自分のいい様に理解してしまって

「取説」を読めてないのと同じことになる。

 

例えば、ステレオがあって取説を読んで正確に理解することができなければ

機械を動かして音楽を聞くことができない。

「取説」の説明していることをそのまま正確に理解するまでにかかる時間は人それぞれだし

経験値や能力によってもその時間は異なる。

だからこそ、「諦めないこと」が大事になってくる。

「赦し」に限らず、何でもそうだが「諦めなければ道は必ず開かれるからだ。」

 

 

「赦し」を学び実践する者同士

協力しあって行きましょ。教えあって行きましょ。

最後まで読んでくれてありがとう。

 

 

 

        

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