〜赦しについて体験記〜

 

 

 

何十年振りだろう・・・「トノサマカエル」嬉しかったなぁぁ。

(ダルマガエルかな・・・お腹見忘れちゃった。)

 

「嫉み」の「深さ」や「濃さ」というのは、

ずっとず〜〜〜〜〜〜っと自分の苦しみの原因を自分以外の何かの中に見続けてきた成果結果であり副産物のようなもの。

この火炎地獄のような(火炎地獄という言葉が浮かび、どうゆう意味だろうと思って調べて見たらゲーム名だったのだが、

その内容が「お互いにダメージを与える通常魔法」と記載されていて、

さらに「魔法」を調べると、「仏法以外の教え」との記述があった。

そして「魔」を調べると、「修行に励むことを妨げとなるもの」とあり、

地獄ついでに地獄を調べると八大地獄があり

その中の「等活地獄」についての解説の中に「この中の衆人たちは互いに害心を抱き・・・」と記述があった。)

地獄を分解してみると「地=土、陸、場所」「獄=罪人を監禁しておく所。」

天国は天の国、地獄は地は獄だった・・・

なんて面白い言葉遊びだろう。繋がっている。

ループから抜け出るのは、日々の自分の努力しか脱け出れない。

 

 

前置きがものすごく長くなったが

上記の「等活地獄」に住むものは「害心」を抱くとあったが

 

「〇〇でも入ってこないかな〜」(〇〇部分は割愛させて戴く)

自分がいるのにその言葉を言われたことに対して1年以上経過していても、

怒りの感情(どれだけそのことで自分が恥の気持ちを感じたかという気持ち、そしてその気持ちを味あわせた対象に対しての激しい憎悪)が色濃くあり、

その人と接点がなくなっているのに、その人がいかに非常識で罵るに値する対象なのかということを

関係のない人間にまで表現しないといられない心の動き。(もうその出来事は終演して次のシナリオになっているのに)

どれだけ自分がそのことによって損害を受けたかを他者に表現し証明せずにはいられない心の動き。

「恥をかかされた。」というような「被害的感情」を昨日起きたことのように、何度も何度も外的状況から生じたとして

裁かないといれない状態の方を見ていて、

私たちが自分の苦しみの原因を外に見て攻撃によって癒そうとするのではなく(強化してしまうのではなく)

物凄い風圧の向かい風に向かっていくことではあるが、それでも心の中に戻っていく訓練に目覚め自主的に意識的な努力をしていかない限り

この火炎地獄から自分を解き放つことは無いということの一つの事例を見て、攻撃の無益さと外に原因を見ていくことが

実際どう動き、どうゆう結果をもたらしているのかという理解が益々深まる機会であった。

 

話すも勇気 聞くも勇気

幸い、その方は私自身の身の上に起きていっている体験談に深い興味を示し、

原因まで戻れてそこで本当に癒されていける「赦し」の実践への招待を受け取り

日々の自分の日常を送りながら分離を本当に癒せる内なる教師を教師とする「赦し」の実践をしていく道を選択した。

「赦すこと」をするようになりこの世界で経験してこともないような至福の体験を経験をするようになり、

(実在しているのは愛だけだが真の愛は説明できるものではなく体験することしかできない。

しかし、この体験をしたなら確実に忘れられない。そしてもっと体験したくなる。それが「赦す」意欲にもつながる)

 

不幸の原因を外に見ることで自分を不幸していた者が(私のように、)

そのサイクルから抜けていく道にでれ、幸せになっていくことに貢献できたことを本当に嬉しく感じた。

 

何がこの世レベルで起こっていても、どんな記憶や過去のワンシーンと思われるものが浮上してきても

「赦すこと」で本当に外的状況に影響されない心理状況を経験し体験からそれがどうゆうことを言っているのか経験します。

 

ずっと外の中に不快感や痛みの原因を見続けていくと嫉み深くなっていくが

冷静にその精神力動をじっと観察していくと(赦していくと嫉みの仕組みが見えるようになっていくのでよくわかる)

ずっと外側に不快感の原因を見続けている場合の私たちの通常の行動特性として、自分に損害を与えたと感じた人のことや摩擦になる相手を

少しでも貶めてやろう思って、当人がいないところで、関係者などに悪口とは気づかれない口調で

その人が他の人に悪い印象または、その方のマイナスイメージつながるような意図を持って行動するを持っている。

(大概の場合完全に無自覚にしていることが多く、実は自分でわかっていても自分はそんなことはしていない!という認識で決してその部分を

自覚したいと思う部分ではなくだからこそ、自分で気付く気にならないと土台取り組めないテーマだし気付く気になると非常にわかるようになっていく)

ある方の本の中で書かれていたエピソードだが、カウンセリングにきた男性が、人を騙すのが得意だと自慢していたこと、しかしその方の代価は

かなりのもので、いつもお金に困っていて服装も薄汚く定職もつかず身体中に痛みがあり性生活とは無縁だと書いてあったのだが

本人が他者を騙すことがどれだけ実は自分に不利益で代価が高くついているのかの事実を理解できる苦難は続く。

自分が実は、そうゆうこと(人を出し抜くこと)をしていること自体を自信満々に自慢しながら

実はそのことがどうゆうことなのか気づいていない(自分がしている実情を本当には理解できていない)から本人はしているわけですが

何故、そうゆうことは本当にしないほうがいいのかということまで自分で自覚できるようになるにも

「赦す」ということを勉強して、沢山自分の日常で実践していくことでしか、自分が何をしているのかが見えていきません。

「人を騙す」ということが、どれだけ巨大な代価を支払っているいうのかという実態を理解できないのです。

この一つの例題を見ても、いかに自分の意欲にかかっているわかると思います。

カウンセリングにきた方も当人は外面上の人生に困って解決したくてきているわけでしょうが

自分が何故お金に困るのかを超えてそれが示唆している原因に気付くことだけでも本当に容易なプロセスではないわけです。

自分の不便を感じる現実をスムーズにしたり豊かにして行くプロセスもとてもいい修練ですが、

それ以上に原因のところまで行って心を癒すというところまで帰還してくのは、更に容易なプロセスではないわけです。

 

 

協力しあって行きましょ。教えあって行きましょ。

最後まで読んでくれてありがとう。

 

 

 

        

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