~くりみか日記~

 

日常って癒しに満ちていて、自分が心のレベルで犯した間違いを裁くことのない一なる愛と光と進む

(罪悪を直視ていく旅)は、癒されていく・・・まるで悪人から善人へのシフトの旅ようだ。

 

生きるって心を癒すってこと。

この世レベルで、自分の決断から生じさせている「罪悪感」を投影させるスクーリンが

どんな現れ方かは色々だけど、(スクリーンっていうと真っ白なイメージだけど、罪悪感を自分の決断以外に見ていくためのスクリーンで

形状は色々、でも内容は同じ)どんな状況というスクリーンも、心を癒す価値としては等価で、生きるってとにかく、心を癒すってこと。

 

心を癒せるって、凄くやりがいもあって、確実に「癒え」を経験していくから、オススメの1つの生き方。

(私の場合は、この癒しに出合ってはじめて自分を不幸にする悪癖から自分を解き放てる手応えを感じれ

この視点で自分自身と自分自身の日常に取り組みはじめて、望んでいた癒しを経験できるようになっている。)

この癒しの経験は物理次元的事柄の中で経験できる自由さとか誰かより優っているって密かに感じて喜んでる喜びとは全く違う幸せ。

この世界で教わった喜びと相当異なる喜びで「調和」と表現すればいいだろうか・・・「完全な平和」と表現すればいいだろうか・・・

自分は肉体でもなく悪魔でもなく光から創造された自己が真の自分の主人で完全な抽象だったんだ・・・

そんな自覚に触れるたび、希望に満たされ広がっていく。

 

 

不快感を手放して、その不快感を手放していこうとするのでもなく

不快感の原因にまでアクセスして行くことで、こんな体験が始まっていくなんて、

こんな取り組みが自分の人生で起きていくなんて夢にも想像できなかった。

(苦しみから解放されたいとは望んでいたが)

 

私が惹かれてやまない、この世のこととは別な取り組み。

才能を開花させるとか、サラリーマンなら会社で出世していくとか、社会的に名をはせていくとか

技術を磨いていくとか、そうゆうことを得たり習得していくために費やしていく努力とはまた別のカテゴリーに属するものへの努力。

どんな分野でも、どんなカテゴリーでも、どんなレベルでも、地道な努力は本当に自分を裏切らない。

(私たちは、絶対に何かに努力をしている。ならば、自分も周りも幸せなっていく道に努力した方が賢明ではないだろうか)

 

11月に神戸大学の「六甲祭」という文化祭に行ってきた。

 

活気に満ち溢れて楽しいイベントだった。

「文武両道ってまさにこのことね」って、感じさせる体現者で溢れていた。

個人的に、神大に通っている学生さんたちにインタビューしてお話を聞けたことが一番楽しかったかな。爆。

 

 

ダンスや音楽が色々な場所で発表されていて、みんな喜びにみち、縄跳びのような道具を使ってするダンスは、息を合わせて

相手が踊りやすいように呼吸を合わせて協力しあって生きている姿がめっちゃ素敵だった。

相手のペースを汲み取って、その人の呼吸に合わせて縄を回すのが上手な子が一人いて、

拍手喝采ものの見事なダンスを発表して周囲を湧かせていた。

表舞台で踊るのが上手な子、相手の呼吸を読み取ってその人がダンスしやすいように支えるのがべらぼうにプロ級な人

見ていて、鳥肌が立つほど、気の流れが楽しくて招待状をいっぱい受け取った。

3回生たちは、今年最後になる「六甲祭」に青春の涙を輝かせている??って感じで

一生懸命生きるって、いいなって思う。

沢山の元気をいただいた感じだった。

 

学生さんたちがそれぞれ出している出店が色々!!

焼きそばがゲキウマでした。

 

 

呼吸が楽になっていく。どんなものにも属さない、真の自己を思い出していくことで

与えられているそもそもの自由を思い出し心が広がっていく。

 

 

24分6秒「B'z LIVE-GYM Pleasure 2008 -GLORY DAYS-」より「RUN」から始まる

稲葉浩志さんのトークを聞いていて、どんな分野で活躍されている人でも地に足つけて生きている音って

元気になるな?って。どう生きるかをその人の生き方が他者にそれを教えている感じ。

もう15年以上は経つ話だがバイクが大好きな友人がお世話になっているバイクのお店に

稲葉さんもよく来るという話で、友人曰く、すごく素朴な人で、普通にいい人でカッコつけたところも全くなく

好感をもている人だったそうだが、一生懸命努力して自分の夢を掴んでいける努力できる段階にある人というのは虚勢をはる必要もなく、

謙虚に生きることや目には見えないけれども原則が存在していることを察知しているのだろうなって思う。

 

自分が困った時というのは、必ず、誰かが助けてくれる。

人間の人生というのは、いい時も悪い時もあって、人間はいいこともするけど悪いこともするのと同じかな。

最善は尽くすけど、それでも起きてしまう試練やチャレンジには

愛と光と希望と勇気を持って抜けていくだけだと思う。

偽善の善ではなく真の善だけを自分ができるように進歩していけばいくほど、幸せはもっと身近なものとなっていくのだろうと思う。

自分が困った時、辛い時、、助けになってくれるのが、

ある人や情報との出会いだったり、あるセミナーだったり本だったり。

苦楽を共にする家族を始め、友人や仕事でつながっている人間関係などなど

全ては癒しに導かれている。

 

 

 

セドナにあるエンチャントメントホテルというホテルがあって、そこに鹿がいる。

凄く可愛い・・・けれども、野生の鹿と全く違う。

野良でもない、飼いならされた鹿でもない、野生の鹿。

自分の感情の原因に責任を持って生きれるようになっていくって、まさに野生の鹿かもしれない。

 

心から恐怖がなくなっていくって、どんな形の幸せもこの幸せには及ばない幸せ。

 

「神からの分離」を癒すために、まずは、直接取り組むことはできないが、間接的なアプローとから始めることができる

それがこの世界の対人関係などを通して「赦し」を実践していくこと。

神との分離が起こったと信じ、その心の中を恐れて、そこから逃げ出してきてしまった心としての私たち。

一歩一歩着実に自分の日常で浮上して来る不快感を合図に確実に実践し、

その積み重ねをしていくことで、最終的には、「直接的アプローチ」が可能になっていく。

楽しい。この努力本当に楽しい。途方ものない抵抗を抜けてくのは避けられないのだが・・・

 

 

 

 

理論や知的理解や言葉による説明などを超えた体験を益々していこう。

愛と分離したという思い込みから目覚めていくための実践の道から、迷い出てしまわないようにするためにも、基本的理論の理解を大切にしていこう。

日々勉強、そして努力。

 

自分がニューエイジの教えを実践していた頃は、もっともっと現実がよくなってなれば幸せになれると思っていたし

実際すごく許可書になった。クリアリングを実践したり、「インナーチャイルド」のようなレベルの癒しのプロセスも

今の自分で振り返れば、癒しには段階があって、それを進んでいるんだんって。

今出会っているのは心のトレーニングをする「奇跡講座」。

 

 

この世界には、幸せに生きている人がいたり、そうではない人もいる。

富を持っているけど、その富を持っていない他者を軽んじていたり

自分より劣っているように相手を攻撃していく生き方をしていたり、

財産のある家に生まれ、それなりの社会的立場になっているような人が

自己顕示欲が強くて、自分を中心に物事を動かしたいオーラが強くて、相手に気を使わせたり、

奉らないといけない関係以外求めてなかったり・・・

書き出したら切りがない程の欠乏の原理に由来したあらゆる罪悪強化の生き方・・・

何がそんなに、こうゆう生き方に私たちは、こともあろうに、魅了されるのだろうか・・・魅力に感じるなのだろうか・・・

と思うが、実際しているのだから、その事実を認めていくのは反転させていくための初歩の一歩。

 

自分が平安を投げ捨てたくなって投げ捨てている事実を正直に見ていくことになるこのプロセス・・・

自分勝手という意味は本当に思った以上に深い。

 

誰のことも犯さないで、でも幸せに生きれる道。

その道は自分のことを犯さなくなっていく道。

投影を戻して心の自分の選択に気づいて、そこで終わらせていくって本当に自由を思い出していく。

どんどんこの世界の何かで幸せであるわけではないことを思い出していく。

地道な旅だけど、でも、気づけば、こんなに自由を思い出している???って感じで

もっともっと楽なって生きられるんだなって思うし、やっぱり、すっごく嬉しいな。??

苦しみの源まで戻って、自分が原因だったことが見えるところまでいけば、ちゃんと自分の決断から生じているのが自覚できる。

だから終わらせていける。

心の中の罪悪感を癒していければ、生きるのってすごく楽しく平和に生きれる。

痛みや苦しみの原因を 外的状況の中にあると思っていく思い癖

改善していく生き方は、他者を裁かなくなっていくからそれだけで、なんだか、人生自体が穏やかになる。

自分を悪人だと思ってなければ人は悪いことはしない。自分を神の愛に支えられた光だと自覚していたら裁きは不可能。

 

元々与えられている自由な心を取り戻して自由を思い出していく。

平和や幸せが何処にあって、どう生きればそこにいけるのか!!の生き方をキャッチして使っていけるようになっていくことは

罪悪を深めてしまう間違い未然に防ぐことが可能になり、

自分が練習して上達していけば、その確率は非常に上がり、上達していけばいくほど、 幸せを感じたり経験していく回数や持続度が増していく。

 

最終ゴールは、どんな局面でも完全にできるようになればゴール。

それまでは、(自分の苦しみの原因が外的状況の中にある思っている思い癖が残っている間は)ずっとこのレッスンは続く癒しの旅。

反転させて行くことを終わるまでずっとやり続けて行く旅。大変ではあるがご褒美があるから結局楽しい旅である。

不幸からスタートなわけだから、理屈から見ても このゲームは幸せになっていく度合いが増えていく一方ってことになる。

 

 

 

最後まで読んでくれてありがとう。

 

 

 

        

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