?くりみか日記?

 

 

この動画は2018年11月21日JACIMより更新された「抑圧と投影」(ワプニック解説動画)です。

 

いつも、JACIMからアップされると自分の学習のために書き起こして印刷して

自分が響いてくる箇所にマーカーを引いて置いて、思い出した時に、いつでもパッと読めるようにして

自分に腑に落とす作業をしているのですが

日記の方で書き起こしをアップしつつ、自分の感じたことも書き込んでアップしました。

(文章からの方が入りやすい方はご利用してみてください。)

 

抑圧と投影(ワプニック解説動画)

 

今朝の講話は、臨床心理学のような話になってしまいますが、

これは臨床心理学者である私にとっては、職業病のようなもので、避けられないことです。(笑)

お話ししたい事は、抑圧と投影の関係についてです。これは、「奇跡講座」の学びには極めて重要なことです。

「なぜ心とその中にある内容を認識することが、こんなにも重要なのか」理解することによって、

私たちは変わる事ができるようになるからです。

これは、本当に実感!!

自分自身、「攻撃」や「咎め」や「誹謗中傷」が自分の「罪悪感」の「投影」なのだとありのまま

受け入れられるようになるまで悪戦苦闘の日々だった。(頭で理解しても、信じていることを覆していく作業になるため)

理解できるようになれたのも、ワプニック解説を何度も読み返してテキストを細々でも毎日毎日読み続けながら

日常で思考を逆転させていくために「赦し」を実践していく努力をしたことで、

その事実(裁きとは罪悪の投影ということ)がわかるようになっていけるようになり、

心まで戻っていける頻度が増し、どんなに癒されて実際、楽になったことか!! (声を大にして言いたい。爆)

日常で不快感を感じた時に、自分が感じる不快感を事象を攻撃することで対処するのではなく踏みとどまって

心の中に戻って自分の決断だと自分で気づけるところまで戻っていくことに自分の努力を捧げ続けてきたおかげで

(最初は「くっ!!」って思うけれども!!そこが正念場よね。)

心に戻っていく脚力が非常に高くなって、生きることがすごくすご??く楽になっていたり楽しくなっていたり、

何より平和になっていくし、頑張ってきてよかったなって思うし、これからもずっと頑張ろうって心底思う。

こんな自由で幸せな感覚で日常を生きれるようになれることに万歳!!

 

 

 

 

そして、もし私たちが自分の心の内容(つまり、「裁き、分離、憎悪」といった自我の思考)を認識していなければ

私たちにはそれを変えるすべはありません

これ、本当にその通りなんです。

自分で認識しないと、それは思い込みからきていたと認識できるところまで戻れないんです。

私は攻撃しながら幸せになりたいって本気で思っていましたから。

ありえない話なのに、本気で思っていたんです。

(自分が何故裁くのか、誹謗するのか咎めるのかのメカニズムを勉強して実践し続けて

こうゆうプロセスが終わっている方は、この反転のプロセスってすっごい自分で感動したのではないかと思いますが、)

以前の日記にも書きましたが、

終身刑務所に入っている人が自分を悪人(もちろん真の悪人なんて誰もいませんが)だと思っている人は少なく、

殺人をしながらも自分の不快感を自分以外の決断の責任にして攻撃をしていることを認められず

自分の攻撃には正当な理由があるとして、不当に扱われていると本人は思い被害者になっているという数多くの事例からもわかるように、

罪悪を投影して攻撃して、罪悪感を深めてしまうので、益々、自分を罪悪感に近づけなくして

罪意識を深め、自分を悪人と感じすぎて、自分でその攻撃が悪いように感じて、していることを認められなくなってしまう状態に自分を追い込んでいきます。

自分の信じている「罪」を他にみて、心の決断以外のところで処罰しながら(攻撃しながら)

心に戻れず、何かのせい、決断以外の何かのせいって、言いながら、罪悪感から逃れるために攻撃してしまうこの悪循環のサイクルは

地獄に迷わずいってしまう直行便です。

(自分が神との分離が起こったと信じることで生じさせている罪悪なのに、あまりに居心地が悪すぎて抑圧するので、その結果投影してしまうので)

自分に向かっている処罰(罪悪感は処罰を要求するのがワンセットです。)を心の外で戦闘を始めてしまう(表現してしまうのです)この魔のサイクルは

認識できるようになっていくことで、対処ができるようになり、心の中で赦せるようになって幸せになっていけます。

 

 

まず初めに、少し理論的なことについてお話しします。

これから私がお話しすることは、ジークムント・フロイトの業績にじかに基づいています。

自我についての理解の大部分が、フロイトに基づくものだからです。

「フロイトがこれを発見した」とまでは言えないにしてもその重要性を認識したのがフロイトだった事は確かです。

そして、彼は多大な時間を費やして、このプロセスがどのように作動しているかを説明しました。

彼は、私たちが抑圧するときの力動について語りました。 実は、「奇跡講座」は「抑圧」という言葉を使わずに、

「否定/否認」と言う言葉を使っていますが…

自我について語るという「奇跡講座」の目的からすると、「否定/否認」という言葉も、「抑圧」という言葉も、同義語として使用できます。

とにかく、私たちが、無意識の内容を抑圧もしくは否認するとき私たちは必然的にそうした内容を投影することになるのです。

フロイトは膨大な時間をかけて、「無意識の心の内容が、この世界の中にどのように現れてくるのか」を、

かなり印象的な文章表現でありありと描写しました。

その現れ方は、非常に曲がりくねった様々な経路で、私たちの夢の中だけでなく、

私たちの行動や、「ついうっかり」言ってしまった言葉等に現れたり…。

私たちの文化や宗教や芸術などという形をとって現れるのです。

ですからフロイトが、私たちにも理解出来るようにと抽出してくれた根本法則は、

「私たちが何を好ましくないとか、我慢ならないとか、受け入れがたいと感じて、

それを抑圧する時私たちは必然的にそれを外に投影する」というものです。

それはまるで、私たちが心の中身を下の方へ押し込み、そうして押し込んだものが、

その後、外に押し出されて投げ出されるようなものです。

このことの意味は、「もし私たちが無意識の罪悪感をあるがまま認識しなければ

私たちは必然的投影してしまう」ということです。

投影の形は、攻撃や裁きや批判といったものになったり、

そのさらに大きな形としては、戦争となったり戦争にまつわるあらゆる恐ろしい出来事となったりします。

拷問にかけたり、傷つけたり、罪のない人々を殺したり村落や国家を破壊した破壊したり、といったことです。

歴史を眺めれば、こうしたことがずっと起こってきたことがわかります。

特にキリスト教の歴史を見てわかる事は、善良なキリスト教徒であるはずの人たちが、

「救い主の愛を受け入れた自分は救われている」と信じて、

自分が受け入れたと信じている通りのイエスの愛を使って、戦争する口実としてしまうことがあります。

そのような矛盾の最たるものが、「神聖な戦争」というものです。例えば十字軍のように。

もちろん、実際には過去でも現在でもそうしたことをしてきた宗教は、キリスト教だけではありません。

けれども、こうした残念な事は、よく起こることなのです。

実際のところ、テキスト第3章冒頭の「犠牲のない贖罪」というセクションはこのことについて語り直接、キリスト教徒に言及しています。

主である「平和の君(きみ)」に従っていると信じていながらも、

自分の無意識の罪悪感に気づいていない人々は、自分の罪悪感や罪は、貴重なイエスの血をもって洗い流されたと信じてきた人々であり、

彼らは、「十字架刑」と、「犠牲による贖罪」について語ります。

こうした人々は、自分たちの無意識の罪悪感について気づいていないので、必然的にそれを投影してしまいます。

そして残念なことに、同じようなことが、「奇跡講座」の比較的短い歴史の中でも起こっているのです。

「奇跡講座」を信奉し、赦しの教えを実践していると言明している人々が、

「奇跡講座」を学んだり教えたりしている他の人々に対し、裁いたり、咎めたりあらゆる罵詈雑言を浴びせかけたりしているのです。

「そのような事は、もし「奇跡講座」の教えを真に実践しているのなら、ありえないことだ」ということに、彼らは気づいていません。

けれども、次のような理解があれば、なぜこのようなことが起こっているのかがわかります。

「私たちは、自分の罪悪感に気づいていないなら、それを四六時中、外に投影し憎悪や裁きに満ちたあらゆる形で表現し続ける以外にない」ということなのです。

このことに対する答えは、テキスト21章のはじめのほうに出てくる非常に重要な事は、

「私たちが見ている世界は内的状況の外的映像である」を、認識することです。

「内的状況」とは〈決断の主体〉が自我を選ぶ選択をしているという状況です。

自分が誰かについて裁きや不親切な思いを抱いていると感じるとき、

また、〈一なる子〉がもはや同一とは見えないような知覚をしている時… そのことが、手がかりとなるのです。

 

テキスト5章の終わりの頃の言葉の通り、

「私は心安らかではないので、誤って決断したに違いない」と言うことです。

〈一なる子〉の全体を私の平安と赦しの中に包み込まないなら、私の心は安らかにはならないのだ、と認識します。

この事実が、自分で理解していくようになっていけるのも、非常に大きな恩恵です。

これがわかるようになっていくので、益々、投影を戻して赦していくことに繋がっていくからです。

そして、結果的に幸せになっていくので、ありがたい限りな訳です。

 

 

そして、自分が〈一なる子〉の中から特定の人々を除外していることに気づく時、

それが「自分が誤って決断した」ということに気づくための手がかりとなります。

それが、「心を忘れて肉体となっている状態」から、私を心へ連れ戻します。

自分は他の人々やグループから分離しているとか、

他の人々よりも神聖で、より良い存在だ、といった見方をしている〈心を忘れた状態〉から・・・

私を心へ連れ戻し、

「唯一の問題は、罪悪感を選んだ私の心の決断だ」と私が認識できるようになります。

そして、もし私が、その悲惨で痛ましい結果を理解し、認識することによって、

それを訂正しなければ、、私は、それを投影しては他の人々を攻撃し、

自分で、この文面で言われていることが(自分の決断で痛みが生じていること、そのことを理解して認識しないと

いつまでもずっと投影と攻撃をし深く痛み続ける羽目になっていくということが)自覚できるようになっていきます。

自分が自分の信じている罪悪を外にみて攻撃していることで体験している惨事を

本当に正直(裁きなしで)に受け入れられるようになっていくと、やめていくことができるようになっていくプロセスを経験します。

 

 

 

「自分はこれを神聖な主イエスの名のもとに行っている」と考え続けることになります。

ですから解決策は、自分の裁きありのままに、つまり、自分の罪悪感投影として認識することです。

そして、投影は心の中で生じているので、心へと戻って選択しなおすことです。  

「裁き」というものについての認識が自分の罪の投影なんだと、

自分で認識できるようになっていくまでも大変だな?と感じるプロセスを通過していきますが

やり続けていいると認識できるようになっていけます。着実!!

そして、本当に、これについて認識できるようになると、攻撃する前に、自分で気づいて心の方に戻っていくことを選び

自分の決断で生じていたことが自覚できるところまでいくので癒しが起こります。

そして、「裁き」と「罪悪」の関係性の中に世界が間に入ってこなくなっていくので赦しがしやすくなって

本当に思考を逆転させるための「赦し」を行っていいけるので益々癒されて幸せになります。

 

 

 

最後まで読んでくれてありがとう。

 

 

 

        

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