?イベント日記?

 

 

 

ちょっと10月に早めの紅葉お散歩に行ってきました。

吉野山、気持ちよかった??

 

金峯山寺で境内でのんびり

 

 

お散歩の後に、のんびり露天風呂。

見晴らしも良くて、春にはこの目の前が満開の桜に!!

 

 

痛みやくるすみや不快感と感じるものが、実は、自分の心の決断から生じていたことを思い出していけるって

本当に豊かですね。自分以外の何かから来ていたり、生じていると思っていた自分の思い込みから解放されて

本当に幸せにいきれるようになりました。

そして、毎日、一歩一歩幸せになっているこの事実が私を勇気付けてくれています。

 

(「奇跡講座」がどんなものか知らない方へ→「奇跡講座」は、原因(神との分離が起きたと信じた)と結果(罪悪)の間のギャップ(世界)を

無くして自分の心の決断に気づいていくための「赦し」で神との分離を実在のものとしている自分の抵抗を超えて、

創造されたままの自己へ心を復帰させられることを助けている1つの目覚めのプロセスです。)

 

そして、好きな時に好きな場所にいく気楽さ・身軽さを自分にゆるして生きることも

豊かな生き方の1つだな?と思います。(わがままに生きるということではなく)

 

物理的に成功していても「あなたって戦国武将ですか?」と思える時代を生きている方も見かけますが

(無害で生きるパワフルさに魅せられ、幸せに誰かを犯さず自由に生きることに惹かれる私のようなものには、

恐怖で手をつないでいこうとする生き方は、「こうゆう生き方に強さを感じれていた時代もあったね。って感じで

博物館に行って初めて目にするような1つの「生き方」だった、というように興味が持てない在り方になってしまいましたが)

 

私は、そうゆう生き方のみの状態で、それ以外の生き方しか知らない私は、自分が何を模倣していて、

その生き方は一体自分を何処に連れて行っているのか全くわからない状態からの帰還劇でした。

(原則など全く見えなくなってしまっている状態ですね。)

ですから、益々天国かけ離れていくようになっていく生き方をひっくり返していくのに、

途方も無い努力と莫大な時間を使いましたが、頑張ったかいが本当にあるし、これからももっと修練していこうって思います。

 

自由にのびのびとリラックスして生きれるってやっぱり幸せです。

「自分が広がりを感じる方向に動く」と、必要な情報と出会ったり、

自分更に向上させてくれるような生き方をしている人や情報と出会ったり・・・

それに、人生をシンプルに生きれることを教えてもらえたり。

いつでも、導かれているだなって思います。

シンプルなところで決めて行くと、結局、幸せになってくなと思います。

  「衣食足りて礼節を知る 」という言葉がありますが、

物質的に不自由がなくなって、初めて「礼儀」に心を向ける余裕ができてくる。と同じで

癒しのレベルの階段もスピリチュアルの実践の段階も一段一段。

 

振り返って見て思うのは

意外にスピリチュアルに興味を持っている動機に気づいていないこと。

自分が何を期待していたり興味を持ったのかや何を求めているのかという

自分のニーズを自分で理解していないことがあること。

これって案外本末転倒なんだって。(神との分離を実在としたいので、外に求めるって必然の帰結なんですね)

だから

まずは、これ!!「衣食足りて礼節を知る 」のプロセスって無視しない方がいいな?って。

こうゆう大切なプロセスを無視してしまうと勿体無いような気がします。

 

「奇跡講座」自体は、「常識とは何か?」に答えてくれる書物でもないし

病気を治してくれる書籍でもないですし、自分の生活水準を上げたり向上させていくには??の問いに答えてくれる書籍ではないので

そうゆうことを助けてくれる応援は他を当たった方が真面目に賢明だから

でも、人生でこの世的な次元で得られる幸せや楽しみで満足できない人にはおすすめだしいいかもしれないです。

 

一歩一歩ステージアップ(成長のプロセスという原則)していくのは、どんな分野の勉強をしているにしても同じで、

スピリチュアルの実践も例外なく成長のプロセスという原則が当てはまることは実感しますが

 

「奇跡講座」の「赦し」を実践していて思うのは、「攻撃性」の無益さが実感していける点。

これは本当にすごいと思います。ピカイチ!!

攻撃を放棄していけるので

本当に心が癒されて幸せになっていくので本当にありがたい学びだなと思います。

攻撃が自分の与える損失がいかに、凄いかをを実感できるようになっていく度合いに応じて

赦していけるようになっていくし 、事柄が望む現実ではなくても人生は確かに充実していく方向に確実に向かいます。

これってすごく豊かだと思いませんか?

物理的に成功を勝ち取っている方が博物館に飾られてる時期がきているように感じる重く固い生き方を

しているのをみると、物理的な成功は、自由を与えてくれるものではないことは一目瞭然(必要な分のお金はありがたいです)

 

攻撃や他者を悪く思うこと(自分の信じている罪を自分の心の中以外に見る習慣)は百害あって一利なしだと理解できるので

攻撃を手放す事をやっていくようになるので(自ら攻撃を手放していきたくなるようになっていくので、「奇跡講座」はすごく長けているなと思います。)

それだけで本当に幸せになるのです。

半信半疑の人は騙されたと思って真剣にやってみて???。???

 

私が「奇跡講座」の学びに出会う前座で以前傾倒して実践していたスピリチュアルで使用していた「目覚め」という言葉は、

この分離強化の力動がよく見えるようになっていける学びにシフトしてから冷静にその実践を見ると、望む現実になっていくために「目覚める」ということで

あくまでも、分離と個別性に基づく自我の思考体系の中で、人がもっと楽に、楽に幸せに生きられるよう助けることを目指しているという感じで

 

平和になれば、「地上から戦いはなくなり地上に楽園は築ける」ということが

大前提 (神との一体性以外のところに幸せを見るという私たちの強い習慣がこんな中にも潜んでいる)の上に成り立っている実践で

 

あくまでも、弁別が不可能な一体性と分離が可能だと信じている心が、

その心の中でよりよく生きるという枠組みにとどまったものだったと

気づかされていったのですが

(自分がどれだけ神との一体性以外の中に幸せを求めたいかの抵抗の深さに触れた感じでした。)

 

自分が「赦し」をしていくことで世界の中に「幸せ」があるのではなく

神との一体の自覚の中にあるということが、少しづつですが受け入れられるようになっていき

心が癒されて幸せになっていくプロセスを辿っていくわけですが

真の平和な自己を思い出したい!!そんな思いがもっと強くなりますし

自分が平和だったなんて・・・信じられない。って

本音が出てきますから、どれだけ愛との分離を信じているのかって現実に直面していきますね。

 

外側を変えていくテクニックも色々ありますが、

どれも、完全性との分離を信じている心の中での試みということではあるのですが

現実だと思っているものを変えようとしていじっていくのではなく、

投影を戻して手放していくことでシフトしていくことを試みて

体験として経験していくのは、

マトリックスという映画で表現されているように

現実だと思っていたものは波のように消えていく経験をすることです。

こうゆう経験の利点は、

現実だと思っているものは、実は不変のものではないということに気づけるという点でした。

 

 

ただ、この事実は、神(愛)と分離して自分で幸せは創造していける本気で信じている心にとっては

外側を自分の思い通りに作り変えられるのでは?と思いがちなのですが、「世界はない」のですから

あり得ないということを受け入れることの方が、この学びには大事な理解だと思います。

(反映を見ることはあるけれども、全面的になるということは世界が想起した理由からみてもあり得ないわけです。)

 

自己実現テクニックにも色々な言い回しがあり段階がありますが

生活レベルを向上させていくようなレベルの話は、

早い話、原則に即して生きるとか、しっかり計画して色々勉強して努力していくほうが逆に近道だなと感じます。

 

神との分離は実際に起こっているということが前提の枠組みの中での実践でも、

目の前の現実は自分の思い込みなのだということや現実だと思っているものは

幻想(現実にはないことを思い描くこと。またその思い)

だということを自覚できるようになるという意味において、非常に実践的ではありましたが 

 

しかし、結果からいうと、「この地上に楽園は築けない」ということを、受け入れた方がより現実的だということは

「奇跡講座」を学んでいて「赦し」をしていくうち理解するようなっていくのですが、

考えてみたら、「原因についてのコース」という解説書の中で

(100回以上聞いているのに、これが受け入れられていなかった自分に気づけないって事実自体でどれだけの抵抗!!ってなわけです。爆)


「この地上に楽園は築けない」ということを受け入れていないと

「赦し」をしていく動機としては不十分だということが

述べられているのですが、その通りだと思います。

「この地上に楽園は築けない」ということが本当にそうだな?って実感して

受け入れている状態じゃないと、本当の「赦し」はしないと思います。

 

そもそも、神との分離を実在のこととしておきたいわけですから。

その私たちからしたら、真理を提示されても、すんなり受け入れられるわけがないのです。

そもそも、「分離が起きた!!」と「分離は起こらなかった!!」という選択を前にして

「神との分離が起きた」と信じることを選んでいる張本人なわけですから。(爆)

 

この世界の中に幸せがあると思って、外側に「幸」を築き上げようとする実践や

自分を変えないで幸せになれるような情報を実践しても、一難去ってまた一難で

形のレベルでの癒しは、最終問題にぶち当たるようになっているので、

 

現実を変えて幸せになろうと努力するよりも、心のレベルで解決していく癒しの方が

生きていくにしても、生きやすくなっていくだけでなく、

なんせ、あらゆる形の中に偽装している自分の攻撃の正当化を暴き出せるので

戦いを終わらせていけるため、本当に心が安心できるようになって幸せになっていきます。おすすめ!!

 

時間が実在レベルにはなくて、自分が作り出していることを知っていく経験は非常に豊かです。

幻想だということがわかる経験は豊かです。

依然として時間を感じて生きますが、

それでも時間は自分が作り出していることがわかるようになります。

時間を経験しながら、それでも時間は存在していない事を実感するようになっていきます。???

心の中の戦い・裁きを対人関係を使って手放すって本当に幸せになります。

外側に見ていた自分の信じた「罪」を外に見るのをやめて心の中で取り消していく事のために自分の日常をやっていくと

自分が信じた神との分離を信じたことに由来していたことを思い出して癒していくことができ、そして愛に満ちた神を思い出します。

恐れの愛ではなく、愛の神を思い出すと満ちていきます。

 

 

 

最後まで読んでくれてありがとう。

 

 

 

        

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