ACIM・奇跡講座を共に学ぶ3ヶ月コース




  

個人セッション目的と意図


こんにちは〜♪こちらのページにアクセスありがとうございます。
「奇跡講座」は、自分自身の霊的成長を助けてくれる学びの一つですが、壮大なスケールですので、非常に時間を要する学びで生涯学習となります。霊的恩恵を享受していくためには、日々の自分の努力なくしては享受されることありません。(これはどんな分野でも同じだと思いますが。)そのため日々自分の日常でそうした地味な学習を続けていくことになるわけですが、このプロセスは、忍耐と根気勝負!!といえるくらい非常に根気のいるので、(例えば、いい大学に入学しようと思ったら、小学生から準備していたり、相当な時間数を黙々と勉強していきますね。努力だけで受かるレベルの大学から努力の他に創意工夫ができないと合格できない大学ランク、絶対的に学習時間を勉強することに当てることが大事ですが、それプラス質にも目を向けないと合格できないレベルがあるように)物理的に一人でそれをしていると、途中で投げ出したくなるというようなこともあるのは勉強の分野と同じ。そうならないための一つの場となることが、まず個人セッションをおこなっている一つの動機です。それから同じく独習を続けている仲間たちと共に、語り合ったり、意見交換をしたりすることは、努力を続けていくための励みになると同時に、理解を深めていけます。その目的でもおこなっています。

また、「赦し」を習得していくということとは別な次元で、この世界のレベルで、自分がやりたいことや欲しい現状や人間関係などあると思います。そうゆうことと「奇跡講座」の「赦し」を習得していくことの「相違点」なども、私たちが抜けていった葛藤のプロセスでもあり、この相違点については得意とするテーマでもあるので、そうゆうことについても分かち合って深めあっていく場にしています。

それから、ニューエイジ系の学びと「奇跡講座」との違いも私たち自身がその経験者なので、得意とするところでもあり、ニューエイジ系のスピリチュアルでは満足した結果が得られず、「奇跡講座」のような一元論のスピリチュアルにたどり着いた方には、その距離を超えていけるように初歩的なところに理解に橋がかかるように情報を提供しています。



「奇跡講座」の教えている「心のレベルで行う赦し」の実践に習熟していくには、心構えとして初めの段階で知っておくとメリットが高い点があります。それは、「奇跡講座」を現生利益的ものを得られるよう助けている書籍ではないことを重々承知しておいた方がいいこと。もし、自分の生活面をよくしたい場合は、物理的に実際に成功していて親切に教えてくれるような人をメンターにして学んでください。(どんなことでもそうですが何かを達成していくには、そのことについて学ぶ必要がありますし、時間も必要ですし苦労はつきものです。物事が一つうまくいかないからといって、スピリチュアルに逃げても、単に現実逃避で結局うまくいきません。) 「奇跡講座」は霊的成長のためのスピリチュアルとなるので、そのための「赦し」について自学自習し実践して習得していく教材となります。ですので、まずそうゆうものだと理解してください。そうゆうことを理解しておかないと、現実を改善して幸せになってく系の視点の教えと一緒だと思ってしまい余計に混乱してしまうので。





知っておいた方がお得な知識


世の中には、色々な角度からの「助け」「方法」があります。大切なのは、今の自分がどうゆう「助け」を必要としているのかということ。例えば、苦痛(その種類は色々だと思いますが)をすぐ取り除きたい的な助けを求めている場合は、医療や精神分析やセラピー系の方が役立つでしょうし、そのようなレベルの解決を求めているような場合は、「奇跡講座」のような「助け」は全く向きません。また、この世レベルの衣食住のランクアップのニーズを満たせるように成長するには「奇跡講座」は全く向きません。(でも、結果的にこの世的にも楽になっていくという経験をすることは確かに数多くはありますが・・・。)

「奇跡講座」に限らずですが、大切なのは自分が
惹かれて数年でも本気で実践してみて自分が楽になっていったり幸せになったりするなど効果が感じられない様なら迷わず他に惹かれる方法に目を向けてみることかなと思います。敢えて何故これを書いたかというと「奇跡講座」は、思考体系そのものが、本当にラディカル(先鋭的だし、あまりに急進的)なため、すぐに習得できないだけでなく、かなり強い抵抗を伴うようなプロセスが伴う学びなため、そのまま理解されにくいという要因が強いのです。そのため無理やり根性で学ぶと、効果が得られないばかりか、ただただ難しい分厚い教科書を読むだけで(教科書だけでも分厚いですし解説書まで合わせたら相当な量です。)しんどくなってしまうのです。神との分離を実在のこととしている私たちですので、(言葉でかくと、アニメーションみたいで、二次元的でピンとこない話のように見えると思うのですが)この世界のレベルで自分の心の苦痛を解決したい訳です。その私たちは、「奇跡講座」を自分の都合のいいように解釈したり誤用してしまうケースが本当に多く、独習の軌道に乗っていくのが、ある意味では、容易ではないのかなという点。(だからって悲観する必要もないと思いますが、だから適正な時期に学ぶというのは、習得していく上で大切なことなのだと思います。) 「奇跡講座」は自分の中にある罪悪感を真に癒すという意味においては(自分自身の被害者でもなく相手の被害者でもないことを学べて心を本当に癒すことが可能になっている助けです。)自分を苦しめている真の原因に気づけるようになっていくので、確かに、かなり学びの時間を短縮してくれる「助け」であるとは思いますが、自分自身に対して非常に愛情を持って、強い根気と意欲と忍耐力が必要となってくるような、裏方的なトレーニングを要するような地味な学びですので、そういった意味では、コツコツ系が不向きな人は合わないかも知れません。それから「奇跡講座」は、本当に現世利益(信仰した結果、この世において実り、自分の欲望が達せられるということ。)のレベルの「助け」ではないので、その点を、全く期待できないものなのだなと思って、がっかりするようならむしろ最初からやめた方がいいです。(正直近づかない方がいいかもしれませんと言えてしまうくらいです。混乱してしまうだけ。)


「実践」していくことで自分でわかっていくこと


咎め・裁きの思考体系から解放されていく(実践していく)度合いに応じて以下のことを自分で気づいていくようになっていきます。



私たちは、「コースの赦し」まで行かなくても普通のスピリチュルを学んで実践していくようになる前は自分が受けた形上の損害に目を奪われて復讐心に燃えるのが普通の在り方ですが、多くの場合その渦中にいながらにしてその自分には気づかないものです。「奇跡講座」の説く原因レベルでの「赦し」の実践の恩恵の一つは、形のレベルで自分に与えられたかのように見える損失を超えて復讐心や妬みの気持ちは自分の被害者の立場からの視点から生じていることだと気づけるようになっていける点。

人を悪く思うことは(悪く思っていくことを肯定していくこととは違います。)「いけないこと」ことではないことがわかるようになります。なので、愛以外の利己的な自分の想念に接近できるようになり、利己的な想念を裁かず心から手放していくことができるようになっていけます。人を悪く思うことはいけないことではないことを知っていくので逆に、他者を悪く思うことを悪いことだと思っていると、人を悪く思っていること事態に気づくことができない(接近できない)ことに気づきます。この悪循環の思考サイクル(対話と言ってもいいですね)は、この思考体系の外側に出ていくことができて初めて見ることができる全貌と実態なので、この恩恵は本当にすごいです。例えば、自分の益のために人を利用することは悪いことだと思い込んでいると(私たちの誰もがこれをしているにも関わらず、いけないことだと思っているため実際認めたがりませんよね。)他者を自分の都合で実際利用している事実に気づいたり認めたりしていくことができないので、利己的な自分の想念を裁くサイクルから抜けられませんし、手放したくても、「いけないこと」だという自覚が、それを手放すことを「禁止」している状態になってしまっていて手放せないわけです。


「赦し」を覚えて自分の日常で実践し始めると体験し始めるのですが、その体験からこう思うようになります。「攻撃」「咎め」「批判」は「罪悪」を手放さないための防衛術だったこと。満ち感以外の感覚を生じさせる「原因」を「赦す」ことを覚えていくと自分や他者を非難の対象にしなくなっていき益々解放されて幸せになります。そして「裁くという習慣」がどれほど分離の想念を強化していくのか自分で知るようになるので、外的状況や自他の肉体を攻撃の目的にしなくなって逆に不快感を頼りにその奥にあるものを突き止めて手放していけるようになっていきます。自分の痛みや不快感や不満の「原因」を外的状況の中に見ていく視点は、私たちの持つ「決断の力」を忘却させ埋没させていることだったことに自分で気づくようになっていきます。例えば、自分の惨めさや苦しみを困難で貧しい暮らしにその原因を見ていたとしましょう。しかし、苦しみの原因を外的状況の中に見て、嘆いたり非難したりしても自分の心は一切癒されることがないことを「赦し」を実践することで知ることができるようになるため「非難・誹謗」から「赦し」そして「真の赦し」へと心を変えることができるようになります。そして驚くほどの癒しと広がりを経験するようになっていきます。

覚えておいてください。

最も「ゆるしがたい」ように感じる人や状況こそ、自分の心を変え真に癒すチャンスです。「ゆるす」とは、手放すこと解放すること・取り消すことなのです。「原因のレベルで赦す赦し」は「罪」を実在とみなして見なかったことにすることとはまるで違います。何が起こっている様に見えても、まず、「動揺」が生じたらその「動揺」を導火線して「奥」にあるものを突き止めて心のレベルで「赦す」のです。すると真の癒しの体験をします。(これは、例えば、強盗をしながら、この恐怖は、この強盗によって起きているのではないと、教義を自分の行動を正当化していくために誤用していくことではありません。)

多くのスピリチュアルは、外的状況の不運が減り幸運が増えることの中に成長や幸せがあるという思いに答えるようなレベルのものですし、それが得られたら心は平安で穏やかになれると強固に信じています。しかし実際は、本当に違います。ですので、実践していくにあたり、知っておくといいことは、例えば、今置かれている状態が自分が望まない状況や好みのものではないとしましょう。そのことを自分のせいにしたり裁かないことは難しくても非常に大切です。今置かれている外的状況や身分や立場の違いが「赦し」を習得していくためには重要となるポイントではありません。、悲惨さは外的状況の中にあるわけではないからです。逆に、そう思っている心を癒す道です。

 


実際に実践して実感していく驚く一つが、私たちがこの世レベルで体験している「恐れ」の感覚は実際のものなのですが「恐れ」の「原因」は幻想(根拠のない空想)であり架空のもということ。


 

 

「実践」は、色々なプロセスあれこれ。


(「奇跡講座」は、霊的進歩を助ける教本で、心を癒すためだけを助けている助けのため、この世の幸せを得てはいけないように感じたり、この世的なことを楽しんだり、豊かになることはいけないことだと思い込まれている方がいらっしゃるため(そのことが悩みになっている方さえいました。)助けになればと思って書いています。)


例えてみるとこんな感じです。

実践のプロセス色々 
頭の理解で「赦し」が「わかっている」と自分で認識しているプロセス
「裁く」ことを咎めてしまう「赦し」のというプロセス
自分自身に忍耐強く優しくあれるようになる(甘やかすではなく)という「赦し」のプロセス
外界を自分の望むようにするために「赦し」を実践していこうとすることが見えるようになっていくプロセス
葛藤(有罪性の体験と無罪性の体験の間を揺れ動く)が強烈に起こる赦しのプロセス


☆頭では外的状況をよくしていく事ではないと分かっていても状況をよくして癒されて行こうとする「赦し」のパターン
☆状況をよくしていくことじゃないからと辛いことを黙って耐え忍び孤軍奮闘していく我慢の美徳の「赦し」のパターン
☆心を変えると世界が変わるという希釈してしまう「赦し」のパターン

行動レベルでの導きで得られる癒しの中には真の癒しがないということに気づいていく赦しのプロセス
苦しみの原因は外にはなく自分の心の中にあるということに気づいていく赦しのプロセス
他者を「赦す」ことは実は自分が癒されていることに気づく赦しのプロセス
(↑他者の中に見て裁いていた「悪」は自分が信じている「悪」で何も起こっていない事が自覚されたところで赦す赦し)
時間と空間の外側で為された心の決断に気づいていく「赦し」のプロセス

上記に書いたものはざっくりとしたものですが、このように体験していくプロセスが色々あります。(ちょっとでも理解の助けになったら幸いです。)コースは、挫折するケースが結構あるというお話を聞くこともありますが、こうゆうプロセスがあるのだとわかっておくことで、「赦し」をしても体験が起きていないように感じる時期や赦しても苦しくなっているように感じるプロセス中に罪悪感や小ささを感じずに、もっと自分のペースで着実に歩んでいけるのではないかと思いますし、何よりも罪悪感から解放される「癒し」の道は実はもっと深く(抵抗にあったり、時間のかかるプロセスではあるのですが)楽しいものだと思っていただけるのではないかと思って書きました。

スピリチュルに興味を持つ者同士の間でも、この世で自由に生きれる立場になっていることや所有物の多さがその人の癒しの進み度合いを表していると感じたり、病気になっていることや人生で苦難が多いことが人として劣等であったりなど、外的状況の幸不幸が霊的進歩の進捗度を表す指標のように判断されている場合も多いな??と感じますが(私は、無意識レベルでそうだと思っていましたし、そのように教わりました。この世では、表面上は、経済的にレベルの違いが、人間の優劣ではない言いますが、実際はあるという価値観だと思うのですが、コースのような教えとその解説書に出会って、形のレベルでの相違は、本性としての私たち影響を及ぼさないこと、相違は相違ではないということを知りました。)この世界自体は、お金がたくさんあればあるほど、色々な経験ができますが、心に関わる「赦し」については話が違ってきます。外見上の貧富は、「赦し」を実践した時に受け取れる癒しの深さを左右するものではありません。どんな形なのか立場なのかに左右されるようなものではありません。それぞれの人生というのは必要があって起きていて外的状況の悲惨さのように見えるものはその人の真の価値や成長を判断できるようなものではないわけです。

最初「赦し」を始めたばかりの頃は、「しんどいなぁ?」と感じることがあると思ってください。(そうゆうものなので落ち込まないでくださいね。)でも練習していけばいくほど理解も深まっていくので、その分楽になっていきます。これは確実に楽になります。安心してください。(^ ^)ですので、落胆する必要は全くありません。正確にできるようになるまで練習するだけです。「赦し」の教育を受けていない私たちの今までの先生は「罪悪感」です。この先生は自他の「過ち」は裁くによって修正することだよ。と説きます。(この世レベルで見ても私たちは自分自身がさほど正しく生きれないのに他者のことは正しく裁こうとする癖がありますね。笑)そして自分の「苦しみ」や「痛み」は状況や他者の言動からきているから「咎めてそのことを相手にわからせることだよ。」と説きます。そのような先生を選任して生きているわけですから、私たちは分離を強化していく「裁き・咎め」にかけてはプロフェッショナルということになります。このように「裁き・咎め」の「視点」の達人の私たちが踵を返えし「身も世もない」自分が触れたくない「痛み」と遭遇した時、今までのように状況や他者の言動行動の中に、自分の苦痛の原因を見て肉体や言葉を処罰の手段として外的状況や他者を叩き切るのをやめて自分が投影を起こしている状態を心の中まで戻し「赦す」ことをしていくことは当然ですが最初は大変に感じるものなのです。しかし、右手で箸を持って食べていた人が左手で箸を持つようになったその日から上手に箸が使えないのと同じです。単にコツコツと練習していけばいいのです。

 



そして抵抗を超えていくプロセスにも段階色々。

自分が正しいのに間違えている相手を赦して自分が負けたように感じる赦しのプロセス。
赦し始めたら、周りの人が低い人間に見えて教えてあげたくなる衝動が起こる、裁きたくなる赦しのプロセス。
人のプロセスが気になる赦しのプロセス。
自分にだけ取り組んでいけばいいのだとわかっていく赦しのプロセス。


たまに「赦し」ができません。というお話を耳にしますが「赦し」を始めたばかりの頃はなおのこと当然です。「赦し」ができていないということではありません。重要なのは日々コツコツ自分の日常を赦す為に機会にしていく「意欲」です。日常を「赦す」ことに時間を費やせばどんどん「裁きたい気持ち」は激減していきます。シンプルな話ですが、繰り返し繰り返しの練習です。「赦す」という生き方を自分のものにしていくには繰り返し繰り返し練習していく方法でしか習得していく以外ありませんね。どんなに心が平安の境地に達したように見えるている場合でも、莫大時間実習に費やしているもの。(しかし、心の平安の境地に自分が達していると思い込んでいる人が先導的立場になっているケースもこの道にはあります。仏教などでは魔境と言って注意勧告されている部分です。(私が好きな著者の一人に天外伺朗さんという方がいるのですが、その方の著書「あの世の科学」という本があってその中に魔境について書かれているのですが、一番びっくりしたのが、日本で人気のある瞑想のことについての記述は衝撃的でした。)目覚めのプロセスで私たちが簡単に陥ってしまう自我としての自分の抵抗の一つです。心のレベルでは赦しを実践し、この世レベルでは、しっかり現実を地に足つけてしっかりに生きていくことは実践において非常に大切になっていく部分の一つとなります。)こいゆう逸脱があるからこそ、ACIMを発信している発信側の注意勧告で「一般常識」を無視した進み方をしないようにすることの大切さが言われているのかも知れません。


最後に。「奇跡講座」という「象徴的な説明の仕方」を使って自分の日常で実践していくと、心は外的状況によって左右されていないんだな!!ということを知っていく体験もしていきます。(他にも多岐に渡って体験していきますが)そして心が癒されていく体験はこの世の言葉を使って説明できない種類の豊かさだということも自分で知っていくようになりますが、「豊かさ」というのはこの世に属していないことも体験から知っていきます。(この世界が与えてくれる幸せや他者の証言によって得られる満足を超越してしまった豊かさです。)「奇跡講座」は、罪悪感を自分のアイディンティティとしている私たちには、理解していくのが難しく感じるのですが、わかってくると非常にシンプルなだけでなく「導き方」が非常に面白いと感じます。とにかく非常に明確で一貫性がありクリアーな教えです。私のように初歩の段階のものですら、これほど色々と感じるところがあったり体験するのですから、全面に普遍化できたら、それはすごい至福の体験のみとなっていくのは想像ができますね。心が「裁き」や「咎め」の力動から解放されて幸せになっていきます。そして「対極」というものは実際自分がでっち上げている幻想で存在していないことがわかっていく方向へ向かう導きです。

                                        





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