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自分を赦す 赦しの実践プロセス


「奇跡講座」を読んだ事がない方向けの補足説明    「奇跡講座」とは?

赦しの実践・・・人を赦しているようで、実は自分を赦している事に気付く

他人は赦せても(許しではなく)、自分は赦せないという人がいますが、真の赦しの実践をしていくと人を赦して(許しではなく)いるのでなくて、自分自身を許しているだけな事に気付きます。本当の赦し(許しではなく)ができていくと、その意味がわかってきます。逆に他人の為に赦している(許しではなく)感覚の場合は、無意識化に隠蔽しているだけでしかありません。最初は「赦す」を実践することは負けた感・屈辱感を感じます。「何故 自分が赦し(許しではなく)をしなければいけないのか?」など・・・etc

 

「許す」と「赦す」の一般的な双方の意味の違い
  • 「許し」とは、(存在するかのように見える)罪を許すこと。
  • 「赦し」とは、「もともと罪は無かった」と気づくこと。
  • 「許し」とは、願いを聞き入れること。許可をすることを主に意味する。
  • 「赦し」とは、罪などをなくすこと、宗教的なイメージがもたれている。
そして、「奇跡講座」が言っている「赦し」とは?

 


「赦し」を実践していくプロセス

 

※ 形而上学レベルのみを強調した学び方をして赦しの実践をしていくと脱線しやすい。


マトリックスという映画でサイファーというメンバーがいるが、モーフィアスに、この世界が現実ではないことを教えられ実際は人間は機械の乾電池だという事実を知らされる。そして、本当の現実に目覚めて皆を救う為に機械との戦いに加わるわけだが、毎日の生活が苦しみに満ちていて、ウンザリしてきて「夢を見ていた方がいい!!」という答えを出して機械と取引して、自分は夢の世界に戻ることを決断するシーンがあるが、自分の中にある罪悪感を正視していくプロセスの苦しみが嫌になって、妥協して理解して実践してしまうか、本を放り出してしまうか・・・・

罪悪感を正視して、自分の本質ではない、と受け入れるプロセスの困難さを描写しているシーンだと思った。


まさに、「奇跡講座」の「真の赦しの実践」そのもの

自分の真の実相に帰還するプロセスは、相当な苦痛として知覚されていくプロセスは避けられません。これは、神がまるで、やっぱり罰を与えているんじゃないか!!って根源に投影が普通に起きます。これをまた通過していく時、被害者的知覚を率先して取り消ていく事ということになりますが自分の日常での関係性や状況に許しの実践を練習し始めると赦し(許しではなく)の練習の初歩では「負けた感」という体験から始まります。そこを通過していくと、そうゆう風に感じる知覚はなくなり、今度は、個人対個人の中で「負けた感」というようなものより全体的に、もの凄い「屈辱感」として知覚され体験されていきます。この事を事前に分かっておくと原因のレベルで聖霊を選ぶ真の赦しへの実践が出来る様になっていくための練習として日常を実践していく際、非常に助けになってくれます。それは段々激しくなって、正しい心(聖霊)を選ぶ事は本当にもの凄い屈辱感として経験されます。(これ本当です。知っておくと本当に楽です。) 間違った部屋から正しい心にシフトしていく時のプロセスは、かなりの困難さとして知覚されて体験しますが段々楽になっていきます。 心を無力なものとしてしまっている私たちが時空間の外にある「決断の主体」だということが知覚出来る頻度が増していくまで(思い出すまでにも)、かなりの恐怖の中を通過していくことになります。これは、自覚して進んでいく方が凄く助けになってくれますよ。

それでも、素晴らしいのは、やればやるほど、知覚が修正されていく事実と本当に解放されていくことが分かる事。とにかくコツコツ赦しの練習をしながら疑問を発し再読していく中で段々、理論の概略などが分かり始めていきます。そうなってくると、益々、面白くなり(これは本当に!!ここまで、懇切丁寧なスピリチャルの教えとは出会ったことがありません。妥協なしです。曖昧さゼロです。)正しい心を選んでもすぐ間違った心に戻っていたりしますし、間違った心と正しい心を行ったり来たりしながら、いつかは正しい心をずっと選べるように進歩していくような感じです。だからこそ、理論を希釈無くしっかり学び把握することが重要で理論の初歩だけでもが分かっていくと益々、練習がはかどっていくので、ちょっとずつ上達していけます。

一番は、なんと言っても、苦しみから本当に解放される所がやり続けられる1番の要因の様に思います。



この「奇跡講座」の擬人法や喩えを使って説明している説明の仕方をきちんと理解して、それを自分の日常にきちんと当てはめて実践していくなら、確実に体験が起っていくことです。とにかく、「奇跡講座」の説明の仕方を受け入れて、それにのっとって考え、抵抗が出てきても、とにかく、理解を違った様に解釈したくなる誘惑を退け原理を日常に当てはめて実践していくことが非常に大切です。理論の習得に絶対妥協はしないとコミットした方がいいです。あまりに誘惑が多いため、相当な意欲が要しますし重要です。数ヶ月などで習得されていくものではありませんし、本当に本気の専心が必要になりますが、この世界に「救済がない」という所まで知覚したタイミングの人には、最高の答えとなってくれると思います。


赦しをコツコツ日常に適応して実践していくと、知覚が修正されて、自我の思考体系の枠組みから外れだしてどれだけ自我の思考体系というもののメカニズムが狂気で狂っているのに首尾一貫しているかが見え始めます。この世界全体が心の中の罪悪感に向き合わないための手段であり夢だということをホントに知って行く体験は言葉に表現出来ない体験です。答えが全てを教えてくれます。心理学的な力動のメカニズムの概略だけでも、まず、何度も再読して頭に叩き込んで日常に実践していくことを実際に、コツコツやっていくならば、「怒り」とは、「自分の罪悪感を投影しようとして自分が下した決断の表れだ」と、きちんとした理解が出来るようになりプロセスも踏んで実践を積んでいけるようになり進歩していけます。心理学的な力動のメカニズムをきちんと理解して学ぶことは無意識の罪悪感を抑圧や否認をして隠蔽の度合いを深めていかずに、すむ点も凄くいいと思います。




「奇跡講座」の学ぶ時に知っておいた方がいいこと


形而上学的な面ばかりを強調して実践していく学び方をすると・・・・


「奇跡講座」を学ぶ上で気をつけないといけないのは、日本も希釈されたコースがコースとして出ていますから一般学習会などに参加して理論への理解を助けてもらいながら学ぶ学び方の場合はさらに注意が必要です。その解説の中には理論全体が見えていない状態で、その人が自分のわかる範囲で理解しているものをその人なりに他の人々に伝えているケースが現時点で多いのが「奇跡講座」だと思った方が無難という点です。教師の方の「解説」は実は「解説」ではなくその方が体験を通して「解釈」した理解の場合が殆どだと思っていた方が無難でいい位のものです。講師の方自体がその自覚が無い場合、上記の様な前置きの説明は当然ありませんから「奇跡講座」に惹かれて学び出した参加者側に、もし「奇跡講座」を学ぶ上では、かなりの注意点があるんだという予備知識理解がない場合、その講師側が「解釈している」「奇跡講座」の理論の理解を間に受けて「これが奇跡講座の内容なんだ!!」と思ってしまって知らず知らずのうちに歪曲して学んでしまう可能性があるので、そうなってしまうともはや、奇跡講座ではなくなるのでコース自体からホントに学んで実践したい場合にはその気をつけた方がいい重要つだと言えます。

コース自体を本気で曲解なく学び日常の実践をしていきたい方の場合は、コースの理論全体を曲解なく正確にサポートしている奇跡講座公式ホームページ「JACIM」がベストでしょう。ここの「区別」「差別」ではなく重要で、学習して実際に本当に自分の日常を本当に実践していくにあたって、恩恵を受けられる様にしていく役割と恩恵を受けている人の違いの様なもので「奇跡講座」を学び実践して行くとき、理論の曲解ない理解が非常に重要になります。希釈してしまうと、実践が歪曲して隠蔽になってしまう可能性があるので、本当にここは、うるさいほど言っても言い過ぎということがないほど、本当に私たちが考えている様な域の深さではないということだけよく理解しておいた方が無難です。「知った」「分かった」と本当に私たちは思ってしまうのです。そうすると、本当にコースが教えている深いところまでいくことが無くなってしまうので十二分に注意が必要です。特に、形而上学の面ばかりを強調したものや感覚的な感じをベースにして赦しの実践や独習をスタートしていくと間違った理解をしてしまいがちになり脱線していく要因になったり混乱が増幅して苦しみが増してしまうケースもあるのでその点は留意が必要です。また、奇跡講座は原因のためのコースであって結果のためのコースではないという点をしっかりご自身で分かっておくことも賢明という点です。

つまり、現実を好転させていくものではないという点を最初から知的レベルでもしっかりと押えて学ぶ事が重要です。(だからといって、現実をよくしていけないとかそうゆう意味ではなく、「奇跡講座」自体はもっともっと深い事を教えている内容であり、そもそも、そうゆう視点から完全に脱却していく点です。)(ここも、用心していないと本当に自我が差し込んで歪曲して学んでいきます。)コースを20年以上学んで実践きている人ですら、知的レベルでも原因のレベルだと理解していてそして体験から実感レベルでも腑に落ちる様な体験をしているように見受けられる人でも、どうしても、赦せば、現実面が結局は好ましい幻想になるという(この世界に意味のある変化はある)という誘惑に耳を傾いていくような、赦せば、外側がよくなっていくという期待感抱いていきたくなるような、誘発するようなシェアーをしていることなども、実際沢山ありますので、いかに、私たちが、この世界の変化に意味があると信じているか、
その想いがどれだけ、もの凄い想いであり執着であるか気づく事例の一つであり、侮れない大きな落とし穴です


そして、実相では神との分離は起きていないんだから!!と形而上学的な部分を強調した学び方をして、それをベースにして日常の実践をすると逆に混乱をホントに起こしやすく、理解しないといけない論理が抜けているため人間の教師に頼りがちな依存サイクルをつくり出し易くなります。また個の魅力が非常に強くなっていきます。


「奇跡講座」だけでなく私たちはスピリチャルの学びの初期(霊的進歩の道)の段階では人間の教師に頼りがちです。
自分の心を無力なものとしている私たちは、自分を卑小なものだと無意識で確信している状態ですので「自分より知っていそうな雰囲気を感じる誰か」にアクセスしていくわけですが、スピリチャルと言われる分野は専門的な訓練を受けていない民間療法的な癒し系も本当に多く、ましてや、セラピスト自体が自分は癒し手ではないという事実に進歩していっているかは別問題ですし、自分の空虚感を埋めるためにセラピストになっているケースもあります。私たちは、それらしく振る舞っている人間の教師を見ると、すっかり、人間の教師を崇拝し仰ぎ見てしまう過ちをしてしまいがちですし、人間の教師側も自分の自我に耳を傾けている、そのクライアント側の自我の褒めそやしの賞賛と崇拝をすっかり心地よく感じてしまう誘惑は自然に起きています。結局は、お互い自分の自我の特別性を強化し分離をさらに強めていくことに本当になりやすい傾向です。

自我の地雷は巧妙です。確かに、感謝はとても、素晴らしいことですが、その感謝の動機は自我の場合も多く聖霊だけが唯一の救い手で教師です。救済が必要な学ぶ者同士、十二分に注意が必要です。そして、論理が抜けて曖昧で形而上学的な面ばかりを強調した学び方の土台の実践は、かなり片手落ちとなり罪悪感を余計に隠蔽したり強化してしまうことにも繋がりなりかねません。指を鳴らす様に簡単に「赦し」は習得出来たり実践出来るという考えは持たない方がいいですし、その様に感じさせるお話は、良い悪いではなく逆に鵜呑みにせず冷静に判断した方が賢明です。

「奇跡講座」の聖霊赦しをするための聖霊であって、自分の痛みを取り去ってくれる魔法の杖ではないという点です。
「奇跡講座」は聖霊教師である自学自習という意味自体もよく理解出来るようになるまで時間がかかるで学習会を活用して学びを進めていくことは、ある意味非常に助けになる事もありますが、「奇跡講座」の中に学習会を作った方がいいという指示など何処にもないように、教師聖霊であり生徒は私たち一人一人ということを分かっておくことです。教師によっては、 まるで、聖霊に全託すれば、自我としての私たちが望む癒しが起きるんだという間違った理解を誘発してしまう様な曲解した説明も普通にありますので、そうゆうものではないということをしっかり認識した上で個人が開催している学習会に参加することが惹かれる場合は参加されることが賢明でしょう。


それから、形而上学のレベルでは確かに神のみですが、実相にあるけど、ここにあるとは言えない「ここ」が重要で、
形状学的な面ばかりを強調して理解していくと、自我の精神力動のメカニズムが理論を学ぶことが欠落して抜け落ちてしまい、理論面が曖昧になるので、実際に日常で実践して行く時、実践が非常にきつくなっていく傾向があります。なので、その様な学び方はしない方が賢明です。

また、そうゆう学び方をすると「早めよう」という焦りの様なものを強化してしまう傾向があります。このような「早めよう」という態度の根底に潜んでいるのは「今は達成されていない」という想念で、だから「早めよう、早めよう」とすると「今はまだ達成されていない」と思い続けているのと同じになるので、専心していく気持ちと意欲は大切ですが、結局は加速を促す様な学び方や実践方法には、十分な注意が必要です。

 

 


あなたは安心感と状況に左右されない心の平安が増していますか?


※関心が内なる教師から外側の人物へと移行するように作用していないかどうかを厳重に見極めること


「奇跡講座」の大きな特徴の一つに、安心感と状況に左右されない心の平安が増していくというものがあります。例えば「奇跡講座」に限らずですが、何処かのセミナーなどに参加している場合、あなたはその学びの集まりに参加することで、自分自身が聖霊との繋がりが強くなっていく方向に実際にサポートされていくかどうかをきちんと正直に見極めて下さい。自我を教師としている教師と聖霊を教師としている教師の大きな相違点の一つは 自分自身が聖霊との結びつきが
強くなっていく方向に強力にサポート支援されていくこと。これは、自我が自分の好きな様に曲解して学びたい誘惑を退けコース自体から学び進歩した神の教師の大きな特徴だと言えます。

自我の曲解して学びたくなる誘惑の王道の一つは自分の体験からコースを理解したり解釈したりしていく学び方です。
自分が聖霊に常にサポートされている実感が増していくよりも、逆に、その教師の方に感謝が湧いたり、個の魅力が強く、ましてや「生きてみせてくれている」的な風に尊敬的・カリスマ的に感じる場合などは要注意す。その人を賞賛していく方向に作用していないか?その方と関わっていきたい的な依存的なサイクルになっていないか?自分の心を正直にきちんと注視していくことが非常に重要です。関心が内なる教師に向かっていってるのか外側の人物に向かっていってるのか !!しっかり自分自身を見極めること。

講師や学習会などに参加したり接点を持つ事で逆に内なる教師との繋がりを感じる方に作用していない場合、教師も生徒も自分の罪悪感と向き合わずに済むためのお互いの蓋になり依存的なり、一人で行われるべき難しい内的作業(罪悪感を自分の中にあると認めて取り消してプロセスは難しく苦しみとして知覚されていく場合があります。)を本当に回避させてしまうので、学習会に参加する場合は、実践の代替えとなってしまわないように注意が本当に必要です。人間の教師の立場も生徒の立場も、どっちにしても、多大な特別性の自我の導きの元行っている場合も当然ありますので十分に、互いに、そして、何よりご自身で注意しておくことが大切です。重要なのは自分の自我を正視していくことであり学習会に参加して集って行く事で個人的作業のプロセスを希釈することではない。ということを、まず十分に自分で分かっておく事です。


最愛の人が心の強さを心自体が否認していると認めつつも自ら弱い存在でいようとするとき、それをそのままにしておくことができる愛は、強い愛なのだというレッスンだった。「奇跡講座」が聖霊について述べているように(T-5.2Ⅱ.7:1-4)愛がもつ強さは、要求することも命令することもせず、制御しようともしない。愛はその優しさの中で、心に、その心が有していると同時にその心自体でもあるキリストの強さを思い出させるだけである。そうすることが、心自らそう望むとき再び選び直せる力を強化することになる。愛は、真理からもたらされる結果は確実であると知っているからである。これが忍耐ということが究極に意味していることである。  
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また多くの場合、自分が理解できること、共鳴できることだけを「奇跡講座」の 中から抜き出して、自分の考えを裏付けるために使う、ということが多いのも「奇跡講座」です 。そうなってくると、既に「奇跡講座」の体系立った理論は無視されていますから、もはや「奇跡講座」ではないですし、「奇跡講座」ではない誤解された「奇跡講座」が多いのが現状という点です。



自我は曲解して学びたくなる!

ちょっと余談となる話ではありますが、体験談として、補足で書かせて戴くと基本原理を希釈なく解説するワプニック先生の「解説」の中で特に自我の力動の解説部分は、表層的には非常に感銘を受け感動しました。しかし、理解するまでには、時間が本当にかかります。入門ですら、理解出来ていると思ってしまいがちですが実際は全く理解していないと思った方がいい位の深さです。ちなみに、人によっては、学歴も高く知的には理解が容易に出来そうでも、実際入門書を読んでも、「さっぱり、分かりません。」という言葉を言われている方も普通にいます。

自我としての私たちの名台詞で印象に残っているある方の言葉で「ワプニックさんは学者だから」というものもありました。多くの「奇跡講座」学習者が解釈なのに対してワプニック先生は「解釈」ではなく純粋に「奇跡講座」独習出来るよう助ける「解説」だという点です。「奇跡講座」の助けの恩恵を受けられる様に「奇跡講座」の助けを使える様に、希釈無く妥協無く正確に解説してくれている解説という点です。他の教師と同じで、でも、彼は学者だから、同じ事を難しい言い方で言っているように私たちは思ってしまいがちなのですがそうではなく言い方が複雑なのではなく学者だからなのではなく、明確に克明に「奇跡講座」の内容を理解出来る様に解説されている解説だという、この点をはき違えないで理解しておくこと、さらっと聞き逃したり分かった様に思って、全く聞いていない自分に気づけない落とし穴にハマらずに済みます。ここも真摯に事前のその意味を理解していくと凄く助けになります。自我としての自分が曲解して学びたくなる、ささやきに十分に注意しましょう。特に耳障りのいい希釈した解釈の文面になれていたり(希釈した解釈は柔和で受け入れ易い)英文が読めるということで原文から学び自分なりの解釈で希釈して理解していると、公認版の「奇跡講座」のテキストやワークブック・マニュアルなど 最初、厳しいという印象を持つ方もいました。現実面を好転させることで、自分の心を癒せると思っている時は、「奇跡講座」には近づくタイミングではありません。「奇跡講座」でそれをやろうとしてしまいますので、必然的に歪曲理解と実践になり「奇跡講座」とはかけ離れていきます。

「奇跡講座」自体に惹かれても、状況をシフトさせることで内面の安住を求めてい場合(または、状況で心が救済されていくことは可能だと信じている時)は、必然的に100誤用しますし現実面を好転させるとか、聖霊が何か願い事を叶えてくれるとか、自分の身体の痛みを消してくれるとか(要は状況を変えてくれるとか、恐れを取り除いてくれるとかetc)勘違いの宝庫の理解になっていきます。その場合、他のスピリチャルで実践で本当に十分。例えば、自分の不快感がこの状況を生み出していると考えて、ネガティブな感情や思考を扱って行く事でその状況から脱け出す。シフトして好転していけば自分の心が癒されるはずという実践です。またネガティブを扱えば、必然的に状況は望みのものになっていく、つまりは、望みのものが映っていれば、体験していれば心は平安という、要は状況によって心が左右され得る。結果が原因を作れる。自分は自己創造は出来る。を強化していく実践ですが、自我の自己実現(分離を強化していく技)テクニックのその表現方法は多種多用で、その種類は宇宙変革から始まってさまざまな表現方法がありますが、
内面を扱う事で外面を好転出来る、言い換えれば要は「結果は原因となり得ることが可能である」の強化)なので本当に「奇跡講座」はこの世界を変えるためのものでははく、自分の世界に対する心を変えるためのものだという点を十二分に押えて置いて学んでいくことは助けになります。

「奇跡講座」にもしも本当に惹かれるならこの理論全体をしっかり曲解なく学ぶことは必須だと理解しておいた方が賢明です。この擬人的な表現や喩え話の解説を意味していることや心理学的な力動の仕組みを歪曲無く学んで自分の日常に適応・応用していくなら、心の中にある罪悪感を取り消すことが出来るという意味で素晴らしいです。水増しして理解してしまうと、これだけ明確に懇切丁寧にメカニズムを説明してくれて実践出来るように導いている「奇跡講座」の真の恩恵が受けられなくなってしまうので、それでは、余りに本当にもったいないことです。


理論体系全体をきちんと希釈無く地道に学び実践していくことで本当に隠蔽してきた罪悪感が取り消され心が本当に癒されていく方向に益々導かれていきます。しかし、自分は理解出来ていると思ってしまうと、(容易に起きる)そのまま歪曲して学んでしまうようになり、それ以上深く教えてくれているところまで、学べなくなってしまうので、そうなると「奇跡講座」で得られるはずの真価や恩恵を受けられなくなってしまい、それは非常に残念なことだと思いますしもったいないと思います。「奇跡講座」は余りに曲解や希釈したくなる誘惑が多い難関の書です。その為、脱落が多く曲解誤解が非常に多く、誤解されているということも事前に分かっておくといいです。また中には「公認版」ということ自体にすら権威主義的なものを感じて反発的になって希釈理解を自分に容易に容認していまい、「奇跡講座」の真価が分からないままになってしまう事にも繋がり兼ねないので「奇跡講座」を学ぶ上では、その辺りの自分の自我の忍び込みにも注意が必要です。自我としての自分の罠は、とにかく張り巡らされていて、「希釈」という意味自体も自我としての自分で解釈しないことです。希釈をするとその真価恩恵受けられなくなるというだけで、自我で解釈していくとまるで「希釈」いけないことの様に知覚させ〇〇派など救われていこうと真面目に取り組んでいる者同士がいつの間にか自我としての自分の戦略に協力していくことになり、本来、心の中の罪悪感を取り消す事の出来る助けの「奇跡講座」内容分離強化し隠蔽の度合いを深めていく事に自我としての自分がすぐ誤用しまくるので、そうゆう点でも本当にそれぞれが、用心していくことが賢明で助けです。

学びの大切なポイント
自分に全貌が見えていないということを、謙虚に自覚して受け入れれば、さらに学ぶことができます。
でも、私たちは何故か、すぐに自分で「わかった!」と思って自惚れて、それ以上学ぶことをやめてしまいます。
しかもそれに気づけないものです。ですから、学びの最後の最後まで「謙虚さ」はスーパー重要で大切です。

 

解説書やテキストを再読して日常で「赦し」をコツコツ練習していくことは本当に心が癒され幸せが増していきますね。
赦し(許しではなく)がどれほど、沢山の理解や平安を運んでくれるか計り知れません。「奇跡講座入門」・「天国から離れて」・「赦しのカリキュラム」・JACIM Q&Aの再読&再読はパワフルに理解を助けてくれます。

本日の実践の一言 奇跡講座の内容に対する巨大な抵抗が自分の中にあると自覚せよ!!

 

他の人の道を自分の道にしようとするのはやめなさい。しかしまた、他の人の道を裁くこともやめなさい。
                               天国から離れて 513ページ下段


 

 

今回の記事のライター  MIKA

 

最後まで通読ありがとうございました。いかがでしたでしょうか?
読んだ方の「独習」のお役に立てたら幸いです。

              

            Photo ナスカの地上絵 巨人 by MIKA

 

 

 

 

 

 

 

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