奇跡講座トップページ 〉〉〉ACIMの一言 〉〉〉自分を赦す(許しではなく)

 

 

      

 

自分を赦す 赦しの実践プロセス


 奇跡講座を読んだ事がない方向けの補足説明    奇跡講座とは?

赦しの実践・・・人を赦しているようで、実は自分を赦している事に気付く

他人は赦せても(許しではなく)、自分は赦せないという人がいますが、真の赦しの実践をしていくと
人を赦して(許しではなく)いるのでなくて、自分自身を許しているだけな事に気付きます。
本当の赦し(許しではなく)ができていくと、その意味がわかってきます。
逆に他人の為に赦している(許しではなく)感覚の場合は、無意識化に隠蔽しているだけでしかありません。
最初は「許す」を実践することは負けた感・屈辱感を感じます。
「何故 自分が赦し(許しではなく)をしなければいけないのか?」など・・・etc

 

「許す」と「赦す」の一般的な双方の意味の違い
  • 「許し」とは、(存在するかのように見える)罪を許すこと。
  • 「赦し」とは、「もともと罪は無かった」と気づくこと。
  • 「許し」とは、願いを聞き入れること。許可をすることを主に意味する。
  • 「赦し」とは、罪などをなくすこと、宗教的なイメージがもたれている。
そして、「奇跡講座」が言っている「赦し」とは?

 


赦しを実践していくプロセス

 

※ 形而上学レベルのみを強調した学び方をして赦しの実践をしていくと脱線しやすい。


マトリックスという映画でサイファーというメンバーがいるが、モーフィアスに、この世界が現実ではないことを教えられ実際は人間は機械の乾電池だという事実を知らされる。そして、本当の現実に目覚めて皆を救う為にも機械との戦いに加わるわけだが、毎日の生活が苦しみに満ちていて、ウンザリしてきて「夢を見ていた方がいい!!」という答えを出して機械と取引して、自分は夢の世界に戻ることを決断するシーンがあるが、自分の中にある罪悪感を正視していくプロセスの苦しみが嫌になって、妥協して理解して実践してしまうか本を放り出してしまうか・・・・
罪悪感を正視して、自分の本質ではないと受け入れることのプロセスの困難さを描写しているシーンだと思った。
まさに、奇跡講座の「真の赦しの実践」そのもの
自分の真の実相に帰還するプロセスは、相当な苦痛として知覚されていくプロセスは避けられません。
これは、神がまるで、やっぱり罰を与えているんじゃないか!!って根源に投影が普通に起きます。
これをまた通過していく時、被害者的知覚を率先して取り消ていく事ということになりますが自分の日常での関係性や状況に許しの実践を練習し始めると赦し(許しではなく)の練習の初歩では「負けた感」という体験から始まります。
そこを通過していくと、そうゆう風に感じる知覚はなくなり、今度は、個人対個人の中で「負けた感」というような
ものより全体的にもの凄い「屈辱感」として知覚され体験されていきます。この事を事前に分かっておくと
原因のレベルで聖霊を選ぶ真の赦しへの実践が出来る様になっていくための練習として日常を実践していく際
非常に助けになってくれます。それは段々激しくなって、正しい心(聖霊)を選ぶ事は本当にもの凄い屈辱感として
経験されます。(これ本当です。知っておくと本当に楽です。) 間違った部屋から正しい心にシフトしていく時の
プロセスは、かなりの困難さとして知覚されて体験しますが段々楽になっていきます。
心を無力なものとしてしまっている私たちが時空間の外にある「決断の主体」だということを
知覚出来るまで、思い出すまでにも、かなりの恐怖の中を通過していくことになります。
これは、自覚して進まれることが重要で凄く助けになってくれますよ。

それでも、素晴らしいのは、やればやるほど、知覚が修正されていく事実と本当に解放されていくことが分かる事。
とにかくコツコツ赦しの練習をしながら疑問を発し再読していく中で段々、理論の概略などが分かり始めていきます。
そうなってくると、益々、面白くなり(これは本当に!!ここまで、懇切丁寧なスピリチャルの教えとは出会ったことがありません。妥協なしです。曖昧さゼロです。)正しい心を選んでもすぐ間違った心に戻っていたりしますし、
間違った心と正しい心を行ったり来たりしながら、いつかは正しい心をずっと選べるように進歩していくような感じです。だからこそ、理論を希釈無くしっかり学び把握することが重要で理論の初歩だけでもが分かっていくと
益々、練習がはかどっていくので、ちょっとずつ上達していけます。
一番は、なんと言っても、苦しみから本当に解放される所がやり続けられる1番の要因の様に思います。



この奇跡講座の擬人法や喩えを使って説明している説明の仕方をきちんと理解して、それを自分の日常にきちんと当てはめて実践していくなら、確実に体験が起っていくことです。とにかく、この奇跡講座の説明の仕方を受け入れて、
それにのっとって考え、抵抗が出てきても、とにかく、理解を違った様に解釈したくなる誘惑を退け
原理を日常に当てはめて実践していくことが非常に大切です。理論の習得に絶対妥協はしないとコミットした方が
いいです。あまりに誘惑が多いため、相当な意欲が要しますし重要です。
数ヶ月などで習得されていくものではありませんし、本当に本気の専心が必要になりますが、
この世界に「救済がない」という所まで知覚したタイミングの人には、最高の答えとなってくれると思います。


赦しをコツコツ日常に適応して実践していくと、知覚が修正されて、自我の思考体系の枠組みから外れだして
どれだけ自我の思考体系というもののメカニズムが狂気で狂っているのに首尾一貫しているかが見え始めます。
この世界全体が心の中の罪悪感に向き合わないための手段であり夢だということをホントに知って行く体験は
言葉に表現出来ない体験です。答えが全てを教えてくれます。
心理学的な力動のメカニズムの概略だけでも、まず、何度も再読して頭に叩き込んで日常に実践していくことを
実際に、コツコツやっていくならば、「怒り」とは、「自分の罪悪感を投影しようとして自分が下した決断の表れだ」と、きちんとした理解が出来るようになりプロセスも踏んで実践を積んでいけるようになり進歩していけます。
心理学的な力動のメカニズムをきちんと理解して学ぶことは
無意識の罪悪感を抑圧や否認をして隠蔽の度合いを深めていかずに、すむ点も凄くいいと思います。




奇跡講座の学ぶ時に知っておいた方がいいこと


形而上学的な面ばかりを強調して実践していく学び方をすると・・・・


奇跡講座を学ぶ上で気をつけないといけないのは、日本も希釈されたコースがコースとして出ていますから
一般学習会などに参加して理論への理解を助けてもらいながら学ぶ学び方の場合はさらに注意が必要です。
その解説の中には、理論全体が見えていない状態で、その人が自分のわかる範囲で理解しているものを
その人なりに他の人々に伝えているケースが現時点で多いのが奇跡講座だと思った方が無難という点です。
教師の方の「解説」は実は「解説」ではなくその方が体験を通して「解釈」した理解の場合が
殆どだと思っていた方が無難でいい位のものです。講師の方自体がその自覚が無い場合、
上記の様な前置きの説明は当然ありませんから、奇跡講座に惹かれて学び出した参加者側に、
もし、奇跡講座を学ぶ上では、かなりの注意点があるんだという予備知識理解がない場合、
その講師側が「解釈している」奇跡講座の理論理解を間に受けて「これが奇跡講座の内容なんだ!!」
思ってしまって知らず知らずのうちに歪曲して学んでしまう可能性があるので、そうなってしまうと
もはや、奇跡講座ではなくなるのでコース自体からホントに学んで実践したい場合には
その気をつけた方がいい重要つだと言えます。

コース自体を本気で曲解なく学び日常の実践をしていきたい方の場合は、
コースの理論全体を曲解なくサポート出来るレベルの奇跡講座公式ホームページ「JACIM」がベストでしょう。
ここの「区別」「差別」ではなく重要で、学習して実際に本当に自分の日常を本当に実践していくにあたって、
恩恵を受けられる様にしていく役割と恩恵を受けている人の違いの様なもので
奇跡講座を学び実践して行くとき、理論の曲解ない理解が非常に重要になります。
希釈していしまうと、実践が歪曲して隠蔽になってしまう可能性があるので、本当にここは、うるさいほど
言っても言い過ぎということがないほど、本当に私たちが考えている様な域の深さではないということだけ
よ〜〜く理解しておいた方が無難です。「知った」「分かった」と本当に私たちは思ってしまうのです。
そうすると、本当にコースが教えている深いところまでいくことが無くなってしまうので十二分に注意が必要です。
特に、形而上学の面ばかりを強調したものや感覚的な感じをベースにして赦しの実践や独習をスタートしていくと
間違った理解をしてしまいがちになり脱線していく要因になったり混乱が増幅して苦しみが増してしまうケースも
あるのでその点は留意が必要です。また、奇跡講座は原因のためのコースであって結果のためのコースではない
という点をしっかりご自身で分かっておくことも賢明という点です。

つまり、現実を好転させていくものではないという点を最初から知的レベルでもしっかりと押えて学ぶ事が重要です。(だからといって、現実をよくしていけないとかそうゆう意味ではなく、奇跡講座自体はもっともっと深い事を教えている内容であり、そもそも、そうゆう視点から完全に脱却していく点です。)
(ここも、用心していないと本当に自我が差し込んで歪曲して学んでいきます。)
コースを20年以上学んで実践きている人ですら、知的レベルでも原因のレベルだと理解していて
そして体験から実感レベルでも腑に落ちる様な体験をしているように見受けられる人でも、
どうしても、赦せば、現実面が結局は好ましい幻想になるという(この世界に意味のある変化はある)という誘惑に
耳を傾いていくような、赦せば、外側がよくなっていくという期待感抱いていきたくなるような、誘発するような
シェアーをしていることなども、ありますので、いかに、私たちが、この世界の変化に意味があると信じているか、
その想いがどれだけ、もの凄い想いであり執着であるか気づく事例の一つであり、侮れない大きな落とし穴です


そして、実相では神との分離は起きていないんだから!!と形而上学的な部分を強調した学び方をして、
それをベースにして日常の実践をすると逆に混乱をホントに起こしやすく、理解しないといけない論理が
抜けているため人間の教師に頼りがちな依存サイクルをつくり出し易くなります。
また個の魅力が非常に強くなっていきます。


奇跡講座だけでなく、私たちは、スピリチャルの学びの初期(霊的進歩の道)の段階では人間の教師に頼りがちです。
自分の心を無力なものとしている私たちは、自分を卑小なものだと無意識で確信している状態ですので
「自分より知っていそうな雰囲気を感じる誰か」にアクセスしていくわけですが、スピリチャルと言われる
分野は専門的な訓練を受けていない民間療法的な癒し系も本当に多く、ましてや、セラピスト自体が
自分は癒し手ではないという事実に進歩していっているかは別問題ですし、自分の空虚感を埋めるために
セラピストになっているケースもあったりします。
私たちは、それらしく振る舞っている人間の教師を見ると、すっかり、人間の教師を崇拝し仰ぎ見てしまう
過ちをしてしまいがちですし、人間の教師側も自分の自我に耳を傾けている、
そのクライアント側の自我の褒めそやしの賞賛と崇拝をすっかり心地よく感じてしまう誘惑は自然に起きています。
結局は、お互い自分の自我の特別性を強化し分離をさらに強めていくことに本当になりやすい傾向です。

自我の地雷は巧妙です。確かに、感謝はとても、素晴らしいことですが、その感謝の動機は自我の場合も多く
聖霊だけが唯一の救い手で教師です。救済が必要な学ぶ者同士、十二分に注意が必要です。
そして、論理が抜けて曖昧で形而上学的な面ばかりを強調した学び方の土台の実践は、かなり片手落ちとなり
罪悪感を余計に隠蔽したり強化してしまうことにも繋がりなりかねません。
指を鳴らす様に簡単に「赦し」は習得出来たり実践出来るという考えは持たない方がいいですし、
その様に感じさせるお話などには、良い悪いではなく用心した方が賢明です。

聖霊赦しをするための聖霊であって、自分の痛みを取り去ってくれる魔法の杖ではないという点です。
奇跡講座は聖霊教師である自学自習という意味自体もよく理解出来るようになるまで時間がかかる
学習会を活用して学びを進めていくことは、ある意味非常に助けになる事もありますが、奇跡講座の中に学習会を作った方がいいという指示など何処にもないように、教師聖霊であり生徒は私たち一人一人ということを分かっておくことです。教師によっては、 まるで、聖霊に全託すれば、自我としての私たちが望む癒しが起きるんだという
間違った理解を誘発してしまう様な
曲解した説明もありますので、そうゆうものではないということを
しっかり認識した上で個人が開催している学習会に参加することが惹かれる場合など参加されることが賢明です。


それから、形而上学のレベルでは確かに神のみですが、実相にあるけど、ここにあるとは言えない「ここ」が重要で、
形状学的な面ばかりを強調して理解していくと、自我の精神力動のメカニズムが理論を学ぶことが欠落して
抜け落ちてしまい、理論面が曖昧になるので、実際に日常で実践して行く時、実践が非常にきつくなっていく
傾向があります。なので、その様な学び方はしない方が賢明です。

また、そうゆう学び方をすると「早めよう」という焦りの様なものを強化してしまう傾向があります。
このような「早めよう」という態度の根底に潜んでいるのは「今は達成されていない」という想念で
だから、「早めよう、早めよう」とすると、「今はまだ達成されていない」と思い続けているのと同じになるので、
専心していく気持ちと意欲は大切ですが、結局は加速を促す様な学び方や実践方法には、十分な注意が必要です。

 

 


あなたは安心感と状況に左右されない心の平安が増していますか?


※関心が内なる教師から外側の人物へと移行するように作用していないかどうかを厳重に見極めること


奇跡講座の大きな特徴の一つに、安心感と状況に左右されない心の平安が増していくというものがあります。
例えば、奇跡講座に限らずですが、何処かのセミナーなどに参加している場合、
あなたはその学びの集まりに参加することで、自分自身が聖霊との繋がりが強くなっていく方向に
実際にサポートされていくかどうかをきちんと正直に見極めて下さい。
自我を教師としている教師と聖霊を教師としている教師の大きな相違点の一つは
自分自身が聖霊との結びつきが
強くなっていく方向に強力にサポート支援されていくこと。
これは、自我が自分の好きな様に曲解して学びたい誘惑を退けコース自体から学び進歩した神の教師の
大きな特徴だと言えます。

自我の曲解して学びたくなる誘惑の王道の一つは、
自分の体験からコースを理解したり解釈したりしていく学び方です。
自分が聖霊に常にサポートされている実感が増していくよりも、逆に、その教師の方に感謝が湧いたり、
個の魅力が強く、ましてや「生きてみせてくれている」的な風に尊敬的・カリスマ的に感じる場合などは要注意す。その人を賞賛していく方向に作用していないか?
その方と関わっていきたい的な依存的なサイクルになっていないか?
自分の心を正直にきちんと注視していくことが非常に重要です。
関心が内なる教師に向かっていってるのか外側の人物に向かっていってるのか !!
しっかり自分自身を見極めること。

講師や学習会などに参加したり接点を持つ事で逆に内なる教師との繋がりを感じる方に作用していない場合、
教師も生徒も自分の罪悪感と向き合わずに済むためのお互いの蓋になり依存的なり、
一人で行われるべき難しい内的作業(罪悪感を自分の中にあると認めて取り消してプロセスは
難しく苦しみとして知覚されていく場合があります。)を本当に回避させてしまうので、
学習会に参加する場合は、実践の代替えとなってしまわないように注意が本当に必要です。
人間の教師の立場も生徒の立場も、どっちにしても、多大な特別性の自我の導きの元行っている場合も
当然ありますので十分に、互いに、そして、何よりご自身で注意しておくことが大切です。
重要なのは自分の自我を正視していくことであり学習会に参加して集って行く事で
個人的作業のプロセスを希釈することではない。ということを、まず十分に自分で分かっておく事です。



最愛の人が心の強さを心自体が否認していると認めつつも自ら弱い存在でいようとするとき、それをそのままにしておくことができる愛は、強い愛なのだというレッスンだった。「奇跡講座」が聖霊について述べているように(T-5.2Ⅱ.7:1-4)愛がもつ強さは、要求することも命令することもせず、制御しようともしない。愛はその優しさの中で、心に、その心が有していると同時にその心自体でもあるキリストの強さを思い出させるだけである。そうすることが、心自らそう望むとき再び選び直せる力を強化することになる。愛は、真理からもたらされる結果は確実であると知っているからである。これが忍耐ということが究極に意味していることである。  
                                 天国から離れて431〜432ページ
 

また多くの場合、自分が理解できること、共鳴できることだけを「奇跡講座」の 中から抜き出して、
自分の考えを裏付けるために使う、ということが多いのも奇跡講座です 。
そうなってくると、既に「奇跡講座」の体系立った理論は無視されていますから、
もはや奇跡講座ではないですし、奇跡講座ではない誤解された奇跡講座が多いのが現状という点です。



自我は曲解して学びたくなる!

ちょっと余談となる話ではありますが、体験談として、補足で書かせて戴くと基本原理を希釈なく解説する
ワプニック先生の「解説」の中で特に自我の力動の解説部分は、表層的には非常に感銘を受け感動しました。
しかし、理解するまでには、時間が本当にかかります。入門ですら、理解出来ていると思ってしまいがちですが
実際は全く理解していないと思った方がいい位の深さです。
ちなみに、人によっては、学歴も高く知的には理解が容易に出来そうでも、実際入門書を読んでも、
「さっぱり、分かりません。」という言葉を言われている方も普通にいます。

私たちの自我の名台詞で私が耳にした決まり文句が「ワプニックさんは学者だから」というものもありました。
ワプニック先生は、「解釈」ではなく純粋に奇跡講座独習出来るよう助ける「解説」だという点です。
恩恵を受けられる様に、奇跡講座の助けを使える様に、希釈無く妥協無く解説してくれている解説という点です。
他の教師と同じで、でも、彼は学者だから、同じ事を難しい言い方で言っているように錯覚してしまうのですが
そうではなく、言い方が複雑なのではなく学者だからなのではなく、明確に克明に奇跡講座の内容を理解出来る様に
解説されている解説だという、この点をはき違えないで理解しておくと、さらっと聞き逃したり分かった様に
思って、全く聞いていない自分に気づけない落とし穴にハマらずに済みます。
ここも真摯に事前のその意味を理解していくと凄く助けになります。
自分の自我の曲解して学びたくなる、ささやきに十分に注意しましょう。
特に耳障りのいい希釈した解釈の文面になれていたり(希釈した解釈は柔和で受け入れ易い)
英文が読めるということで原文から学び自分なりの解釈で希釈して理解していると、
公認版の奇跡講座のテキストやワークブック・マニュアルなど 最初、厳しいという印象を持つ方もいました。
現実面を好転させることで、自分の心を癒せると思っている時は、奇跡講座には近づくタイミングではありません。
奇跡講座でそれをやろうとしてしまいますので、必然的に歪曲理解と実践になり奇跡講座とはかけ離れていきます。

奇跡講座自体に惹かれても、状況をシフトさせることで内面の安住を求めてい場合
(または、状況で心が救済されていくことは可能だと信じている時)は、必然的に100誤用しますし
現実面を好転させるとか、聖霊が何か願い事を叶えてくれるとか、自分の身体の痛みを消してくれるとか
(要は状況を変えてくれるとか、恐れを取り除いてくれるとかetc)勘違いの宝庫の理解になっていきます。
その場合、他のスピリチャルで実践で本当に十分。
例えば、自分の不快感がこの状況を生み出していると考えて、ネガティブな感情や思考を扱って行く事で
その状況から脱け出す。シフトして好転していけば自分の心が癒されるはずという実践です。
またネガティブを扱えば、必然的に状況は望みのものになっていく、つまりは、望みのものが映っていれば、
体験していれば心は平安という、要は状況によって心が左右され得る。結果が原因を作れる。
自分は自己創造は出来る。を強化していく実践ですが、自我の自己実現(分離を強化していく技)
テクニックのその表現方法は多種多用で、その種類は宇宙変革から始まってさまざまな表現方法がありますが、
内面を扱う事で外面を好転出来る、言い換えれば要は「結果は原因となり得ることが可能である」の強化)なので
本当に奇跡講座はこの世界を変えるためのものでははく、自分の世界に対する心を変えるためのものだという点を
十二分に押えて置いて学んでいくことは助けになります。

奇跡講座に、もしも本当に惹かれるなら、この理論全体をしっかり曲解なく学ぶことは必須だと理解しておいた方が
賢明です。この擬人的な表現や喩え話の解説を意味していることや心理学的な力動の仕組みを歪曲無く学んで自分の
日常に適応・応用していくなら、心の中にある罪悪感を取り消すことが出来るという意味で素晴らしいです。
水増し解釈や曲解してしまうと、これだけ明確に懇切丁寧にメカニズムを説明してくれて実践出来るように導いている
奇跡講座の真の恩恵が受けられなくなってしまうので、それでは、余りに本当にもったいないことです。


理論体系全体をきちんと希釈無く地道に学び実践していくことで本当に隠蔽してきた罪悪感が取り消され
心が本当に癒されていく方向に益々導かれていきます。
しかし、自分は理解出来ていると思ってしまうと、(容易に起きる)そのまま歪曲して学んでしまうようになり、
それ以上深く教えてくれているところまで、学べなくなってしまうので、そうなると奇跡講座で得られるはずの
真価や恩恵を受けられなくなってしまい、それは非常に残念なことだと思いますしもったいないと思います。
奇跡講座は余りに曲解や希釈したくなる誘惑が多い難関の書です。
その為、脱落が多く曲解誤解が非常に多く、誤解されているということも事前に分かっておくといいです。

また中には「公認版」ということ自体にすら権威主義的なものを感じて反発的になって希釈理解を自分に
容易に容認していまい、奇跡講座の真価が分からないままになってしまう事にも繋がり兼ねないので
奇跡講座を学ぶ上では、その辺りの自分の自我の忍び込みにも注意が必要です。
自我の罠は、とにかく張り巡らされていて、希釈という意味自体も自我で解釈しないことです。
希釈をするとその真価恩恵受けられなくなるというだけで、自我で解釈していくとまるで
「希釈」いけないことの様に知覚させ〇〇派など救われていこうと真面目に取り組んでいる者同士
がいつの間にか自分の自我の戦略に協力していくことになり、本来、心の中の罪悪感を取り消す事の
出来る助けの奇跡講座内容を、分離強化し隠蔽の度合いを深めていく事に
自分の自我がすぐ誤用しまくるので、そうゆう点でも本当にそれぞれが、用心していくことが賢明で助けです。

学びの大切なポイント
自分に全貌が見えていないということを、謙虚に自覚して受け入れれば、さらに学ぶことができます。
でも、私たちは何故か、すぐに自分で「わかった!」と思って自惚れて、それ以上学ぶことをやめてしまいます。
しかもそれに気づけないものです。ですから、学びの最後の最後まで「謙虚さ」はスーパー重要で大切です。

 

解説書やテキストを再読して日常で「赦し」をコツコツ練習していくことは
本当に心が癒され幸せが増していきますね。
赦し(許しではなく)がどれほど、沢山の理解や平安を運んでくれるか計り知れません。
奇跡講座入門・天国から離れて・赦しのカリキュラム・JACIM Q&Aの再読&再読は
パワフルに理解を助けてくれます。

本日の実践の一言 奇跡講座の内容に対する巨大な抵抗が自分の中にあると自覚せよ!!

 

他の人の道を自分の道にしようとするのはやめなさい。しかしまた、他の人の道を裁くこともやめなさい。
                               天国から離れて 513ページ下段


 

 

今回の記事のライター  栗原みか

現象が好転していく事や望んだものが現れる中に「救済」や「自由」があるという大前提でスピリチュアルをスタートして、不快感を扱っても現象だけが好転していくだけで、自分の中に実は緊張があり苦痛があり裁きがあり
実際には、不幸だという事実に直面し正直にならざる得なくなる。
その時、現れたのが奇跡講座とワプニック氏の解説から奇跡講座を学ぶように
導入紹介している「神の使者」と出会う。

大好きな場所:セドナ

 

実践されてみて何かシェアがあれば是非メールをくださいね。 info@seminar.jpn.com (MIKA宛)

 

 

 

 

 

 奇跡のコース(奇跡講座)を友に学ぶ3ヶ月コース。”神・真の自己を思い出す時間”

 

 

 

 

 

 奇跡講座トップページ 〉〉〉今日のACIMの一言 〉〉〉贖罪の完成

■その他のおすすめ記事

ACIMの一言 総まとめページ

 

贖罪を完成した時に、時間は終了する。 第6話 贖罪とは?贖罪が完成した時、神との一体感を思い出す。
神との一体性を破壊したと信じたとき、私達の中で神から分離したと信じました。
第7話 自我からの脱却
自我の性質を知り・学び!自我から脱却する 思春期の女の子が「クラスみんなから・・・?」

第8話 自分を赦す3ステップ!
第一ステップは問題は自分だと思っているものの外側にあるのではなく中にあることを認める。

第9話 自分を赦す! 赦しの実践ステップ
形而上学レベルを強調した学び方をして赦しの実践をしていくと脱線しやすい。

第10話 赦したくない心は「赦しのレディーファスト」
赦しの実践には「レディーファーストは心配ご無用!!」奇跡講座の教えている概念を・・・
 第11話
 

 


   

                             

                                      トップページへ戻る

 


 

ACIMを深く学ぶウェブサイトのフッターライン      
      真実に生きる!実相世界で生きる「奇跡のコースの学びが深まる」 はKKCが運営しています。
         Copyrights(C)2012 DAINISHINSOTU CO.LTD All rightsreserved