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自分を赦す為の「赦しの3ステップ」


「奇跡講座」を読んだ事がない方向けの補足説明    「奇跡講座」とは?

通常、人を赦す時こういう考えではないでしょうか?あなたは私に対して酷い事・ゆるされない事柄をした。けど私は心が広い・慈しみがあるからあなたを赦してあげましょう。しかし、実際に「事柄が起きた!」視界の中では本当の意味での赦しは不可能です。大きな葛藤から逃れる事はできません。しかし、あなたが「赦しの3ステップ」を本当に実践できた時、その人の為にゆるしを実践しているのでなく、自分自身の「赦せない気持ち」「自分を攻撃していた自分」からの解放だという事が理解出来ます。

※ただ、言葉で言う程、赦しは簡単な事ではありません、論理の理解と日々の実践が必要不可欠になります。

 

「許す」と「赦す」の一般的な双方の意味の違い
  • 「許し」とは、(存在するかのように見える)罪を許すこと。
  • 「赦し」とは、「もともと罪なんて無かった」と気づくこと。
  • 「許し」とは、願いを聞き入れること。許可をすることを主に意味する。
  • 「赦し」とは、罪などをなくすこと、宗教的なイメージがもたれる。
そして、「奇跡講座」が言っている「赦し」とは?

 


「赦し」の3ステップ!

 

第一ステップ 問題は自分だと思っているものの外側にあるのではなく中にあることを認める

第二ステップ 自分の中にある問題とは自分でつくり出したもので、もう自分で望まなくなっているものであると認める

第三ステップ その問題を聖霊に預けて聖霊がそれを私たちから取り去ることで達成される

 

真の赦しのステップが実践出来るようになっていくプロセスで重要な一つは原因のレベルと結果のレベルの区別です。
赦しは分離を信じている、自我と同一視している私たちの願いを叶えるテクニックや魔法の杖ではなく「原因のレベル」での癒しです。世界に対する私たちの心を変えていくことです。状況によってイライラや不快感を感じた瞬間が絶好のチャンスの実践の場です。状況に微細でも激怒でも「イライラ」は罪悪感の投影を正当化する表れなので、イライラの大小は関係ありません。第一ステップ、自分がイライラした瞬間に、問題は外にある!!と自分が決断した表れだ!!と気づきます。(分離を信じる決断をしたと気づきます。罪悪の投影を正当化しようとしている試みの自分に気づき認めます。)原因は外ではなく自分の中にあると正直に認めます。この事実を認めるプロセス自体に熟達していくにも、プロセスが必要です。苦痛の原因は自分の中にあることを正直に認めていくことは、状況の中に幸不幸を見ていても幸せではない事実に気づき始めると容易になっていきますし「そうしたい」と思いたくなるまで、「投影」は自分で戻す意欲は持ちません。自我を教師としたい間は、神(源)との分離は本当に起きたと信じていくことを強化していく方に従っていきます。何度でも、不快感(罪悪感)を他人のせいしますし(してしまう習慣を破って行こうとはしません)現象の中に不快を見る試みは諦めません。このステップを出来るように応援してくれるのが、「奇跡講座」の三部作の読み込みや 「奇跡講座」翻訳者でもなる加藤三代子さんが翻訳しているワプニック先生の解説書やJACIMに掲載されている文書を何度も何度も読みながら、(英語がわかる方が直接ワプニック解説(アメリカでは沢山出版されている)を英文で学んでいてもその方がワプニック先生の解説を正確に理解していないケースを耳にしますので、今出ている範囲でご自身でJACIMから学んでいくことが基本おすすめかと思います。)理論全体が歪曲なく理解されていく中で、意欲が赦していく方に益々高まっていきます。自我の力動のメカニズムの全貌など心理学的な力動のメカニズムというものをきちんと理解することは非常に助けになり理屈が分かっていくので、きちんと赦しの実践が進歩していけるように助けてくれます。まず、初歩の概略ですら、もの凄い深さですので、それを理解するだけでも、実践していけるので実践の醍醐味の感触を掴みますし、かなりの鳥肌が立つほど、エキサイティングです。(困難なプロセスは通過します。)

赦しの実践の1ステップは投影を戻すこと

赦しに熟達していくワンポイント
私たちが自我を教師としている時は(毎瞬、毎瞬です。)誰かのせいにしたくなります。自我を教師としているときは分離を信じているので、私たちは罪深いわけです。もう分離して大罪を犯してしまった身分なわけですから、後はもう他者に責任転嫁していくしか、自分の罪悪から逃れる術がなくなります。だから、誰かのせいにしてその人を責めてる時だけ、自分を責めなくて済むという「投影救済方法」の仕組みになっています。だから、誰かのせいにしてしまうときは、それくらい自分を責めているのです 。つまり「私が本当は悪いんだ」という罪悪感をいっぱい溜め込んでいて自分を罰し続けているんですね。だから、もしあなたが自分の苦しみを何かの出来事や誰かのせいにしたくなったときは、それくらい自分が罪悪感を抱えて苦しんでいることに気づいていく方に意欲的なっていくと次の実践のプロセスを応援してくれます。また、この自我の「投影救済方法」の全貌を知っていくことは自我としての自分の罠にはまらなくなっていけます。だから、力動のメカニズムをよく理解することも実践の助けの要となってきます。人を責めているとき(攻撃している時)勝利して、「す」としているのは、実は自分の罪が無くなったと信じているからなのです。でも、実はメカニズムをよく理解すると、分かるのですが、強化しているのです。


心理学的な力動のメカニズムを知って下さい!!
そうすると「攻撃」というのは、実はとんでもなく、自分の罪悪の強化する手段だと知れます。私たちが攻撃をしてしまうとき、自我と同一視していて、攻撃の中に救済があると信じているので攻撃します。 すなわち、どうゆうことかというと、分離を大真面目に信じて、自分は有罪だと確信している状態です。 この事実に対し本当に理解していこうという動機を持ち学ばない限り「赦しの実践」の上達は事実上難しいです。即修していくようなものではないので、コツコツ自我の思考体系がどの様になっているかをよく理解していく事です。 論理を少なくても概略的に希釈なく理解されるまでは、かなりレベルの混同が激しいですし、混乱時期を通過します。結構、目にする状態の一つが、苦しみの原因を状況の中に、どうしても、見たいという欲求や願望の激しさです。まるで、赦したくても赦せないで、悩んでいるかの様になっていく傾向になっていく場合もありますがそうゆうプロセスを通過していくのは、自然なことで、それでも、救済されたい気持ちに素直になり「楽になりたいから」と赦していくことの方を続けながら、読み込みをしていくと、自分の裁きの想念につぶさに気づいて実践自体がとても、上達していくし本当に楽しくなっていきます。

私たちは分離を混じりっけなく純度100で信じ続ける方を選んでいます。(文章で書くとたわいないことに感じますが分離を信じている結果で生じているスケールは尋常ではありません)だから、そうゆう私たちにとって、(自分は罪深いものだと信じている私たちにとって)罪悪感を正視することは、実際には、苦痛を伴うプロセスですし、身も世もない程どうしても見たくもないものなのでその事を逆に自分で自覚している方が助けになります。(力動メカニズムを明確に理解するは大いに助けになります)その位だからこそ、第一ステップが出来ない。(正確にはしたくない。何故なら罪を信じているから)と自覚することは、逆に、助けになってくれます。第二ステップの自分の中にある問題とは自分が分離を信じる決断からつくり出したものであり、この自分の決断からは、苦しみしかもたらされていない事に気づきもう自分で望まなくなっているものであると認める 。 このステップは、自分が恐れや罪悪感を生み出していることを潔く心から認めることです。

私たちが、この責任逃れをしているとき、誰かに「恐れを取り除いて欲しい」というような事を思いがちでまるで、
自分の変わりに聖霊が恐れを取り除いてくれる的な理解や赦しをしがち。 例えば、身体の痛みを赦したら聖霊が取り去ってくれるとか金銭苦の苦しみを赦したら聖霊が取り去ってくれる的な結果のレベルが好転していくようなイメージを持ってしまったりします。そうゆうテクニック的な事とは違うということも学びを進めていく押えておくといい点です。何度も赦しの練習を日々しながら、自分が間違っていたことを認めるプロセスに意欲的になって本当に救済されたいという気持ちに正直にフルオープンになっていくと、答えが理解を助けてくれます。自分が有罪なものとして「見る」と決断していることが自分で分かるようになります。だから、心まで戻って、原因のレベルで聖霊を選ぶ事とは、どうゆうことかが分かって選べるようになっていきます。自分の自我を退け、聖霊に判断してもらうことを選べるようになっていきます。自分の自我の裁きの夢の変わりに聖霊の赦しの夢を受け入れていけるようになっていきます。

※赦しの夢は現実が自分の望む幻想になっていくこととは違います。

罪悪感から逃れるために投影を使っていた。


どんなに色々な形態があっても、内容な皆「恐れ」単一の自我です。
どんなに可愛く偽装しても、手裏剣は手裏剣ですね。


真の赦しは、まず最初に私たちは決して傷つくことのない存在だという信念の中で培われるのでなければ不可能です。
                           『ケネス・ワプニック[著]奇跡講座入門の帯より』

 

テキストを再読して日常で「赦し」をコツコツ練習していくことで 自分はここには所属してないという体験からの理解が始まっていきます。その理解は、この世界が与えてくれるどんな最高のものをも超越していますし超越していることに気づいてきますし、その本当の真価に開眼させられますね。
加藤三代子氏の講話・赦しのカリキュラム・奇跡講座入門・天国から離れて・JACIM Q&Aの再読&再読は
本当に独習をサポートしパワフルに理解を助けてくれますよ。

本日の実践の一言

 

自分の中に巨大な抵抗があって、「100理解したいとも全く思っていない自分」を認識して学びを進める。


今日のつぶやき

「奇跡講座」が日本に出版される前からACIM(ACIMの日本版の正式名称は奇跡講座)を知った方などのお話を伺うと
印象は難しくて分からない。セッションや学習会に参加を意欲的に一年とか通して参加したけど、まったりしていて
特にパッとした効果が得られないし難しいだけで、理解が出来ないめんどくさいものという声を聞いたりしました。

私自身は今思えば、「奇跡講座」を歪曲したものを(結果のレベルに引き下げて、現実を好転されていいくものとして扱われている)知らずに、実践していたことは、「奇跡講座」の教えている内容解説している解説と出会って知っていくことになったのですが、「奇跡講座」は一言で言って、超難解。でも、本当の真の「奇跡講座」の内容をを本のちょっとでもいいから知ったら、絶対、やめられない!!と思います。


もっと、もっと知りたいって思う。まるでお宝の山を目の前に見てしまったよう。しかし、この見事な黄金のお宝を手にするには、超難解な関門が幾つも幾つもある!!惹かれて学び出しても、難しく感じ理解出来なくて脱落していく人が多いのも「奇跡講座」自分の自我で学んでしまう罠にはまってしまっている状態が起きているのも「奇跡講座」希釈解釈して理解していると思っている誘惑に見事、屈してしまっていることが起きているのも「奇跡講座」自分の特別性を満足させていく強化していく手段にしてしまう誤用が甚だしく起きているのも「奇跡講座」罪悪感を取り消すことの出来る奇跡講座が自我としての自分が枯渇を埋める為の手段として使われている「奇跡講座」


霊性への進歩を遂げていくこの学びの道は最後の最後まで地雷が一杯過ぎて「最後の最後まで謙虚さに道を絶対先導してもらうぞ!!って位のコミット力が必須」です。その位の、心づもりをしていく方が無難相手自分自我コースの歪曲理解などお手の物です。


凄く謙虚に「奇跡講座」に惹かれて学び実践されている様に見えても、実は「奇跡講座」の教えている内容を歪曲して実践していくと、自我としての自分たちが望む現実が表れ出て来ることがあったりするので自我としては飛びついてしまい、気づけば 「グル」になりたい落とし穴にすぐに屈してしまうお花畑と称した落とし穴が一杯(元々神の父になりたい私たちですから自然と言えば自然ですね。)


「グル穴」「先導者穴」には、くれぐれもご注意です。自我の思考体系は、非常にずる賢く・身勝手て支配欲そのもので、完全に狂っているのに非の打ち所がない道理が通らない道理が通ってしまっている思考体系です。この徹頭徹尾狂っている「自分の自我」を相手にしていくので、謙虚さに先導してもらう意欲は幾ら支払っても損はないほどです。難解に感じる要因の一つとして「内容」を受け入れたくない抵抗の激しさ!!その度合いに応じて歪曲理解が激しくなっていく。私自身の「奇跡講座」への内容への激しい歪曲水増し理解や実践や修正されて進歩していく過程を見てもそうだし、周りの学習プロセスを見ても、皆誰もがご多分に漏れず歪曲理解は甚だしく起きていますので曲解理解というのは悪意もなく、わざとでもなく常識的に普通に起きてしまうということ。ですから、正確に理解していく意欲は非常に大切になってくるということですね。


色々なコース関係の出版されている本を立ち読みして驚いたのはコースの基本原理が翻訳に反映されていなかった事!
コース理解における第一人者のケネス・ワプニック氏の指導の元翻訳された「奇跡講座」と対比でそれが歴然だった事は本当に驚きでした。翻訳者によって、本当に変ってしまうのは経験から分かっていますが、それでも、基本原理が希釈されていて反映されていない事は、その抵抗の激しさの実態を自覚せよ!!稲妻が走るようなメッセージでした。私は言葉以上だと自覚し、お尻の穴が「きゅっ」としまって自覚して本当に身にしみて心して行こう!!と思ったことを思い出します。

英語が出来る人が原書で学んでも、基本原理が理解出来るかとは別問題ですし、まして実際に実践しているか!!となると本当に別問題!!自分の曲解気づいていくにも相当時間がかかる事やプロセスが必要なこと私たちがいかに、コースに対し表面上の多大な感銘や賛同とは裏腹「内容」への激しい抵抗実際には「壮絶なこと」の事実を伺えさせる事例だと感じました。

また、赦しの実践が、テクニック的レベルで理解され、まるで、コースを勉強して「赦し」をしていくと、現実が良くなっていくような期待感を持ってしまうような角度で紹介されている書物もあり、この書物からも、赦しの結果として「現象が好転する。」がイコールの方程式に、なっていること。即ち、私たちが、どれほど「この世界の変化に絶対意味がある!!」「この世界に救済はある。」「幸せな夢=幸せな幻想」と尋常じゃなく本気で思っていることが示唆していると思いました。

 

どれだけ神との分離を本気で信じていたくて、自分の事を自分で創造出来ると本気で心底信じていて、どれほど「罪悪感」が巨大であるか・・・・・想像しただけでもその巨大さは、もの凄いスケールだということが感じられます。だからこそ、どれだけ私たちが、この世界に救済はある!!と思っていたい必要があって実際には、向き合っていくことをどれだけ避けたいか!!という事実の根深さの壮絶さを感じさせられます。

原因のレベルで聖霊を選んでいくことは、この世界を好転させていくという救済にもならない救済ではなくその様な視点から脱却していける本当に心が癒されていけるプロセスであり、人間関係を癒していくことは、本当に神との分離を癒せる機会であり、心の中にある、この途方もない「罪悪感」が取り消されていく本当に大切な大切な癒されていける、赦されていける貴重機会です。「奇跡講座」が教える、「原因のレベルで聖霊を選ぶ」を理解して実践出来るようになっていくプロセスは「真の赦し」の実践を出来るようになるまでのプロセスでもあって、本当に楽しい楽しい道のりだと感じます。まずは基礎の理解を徹底して理解して土台をしっかりすることこれは実践していく上でも重要ですね。

 

 

今回の記事のライター  MIKA

 

最後まで通読ありがとうございました。いかがでしたでしょうか?
読んだ方の「独習」のお役に立てたら幸いです。

              

            Photo バリ島 ライステラス by MIKA

 

 

 

 

 

 

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