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第7回 自我を学び!自我からの脱却


「奇跡講座」を読んだ事がない方向けの補足説明    「奇跡講座」とは?

自我の願望・・・攻撃(処罰)で罪を取り消せると囁き、実は自分(神の子)を罪(分離)を強化している。

この世界は私達の罪悪感の投影です。自分が悍ましいと思っている罪悪感を自分でなく、映画のフィルムのように投影することによって、自分がそれを保持していないと思い込んでいる。だからこそ、他者を攻撃・嫌う事で自分の心の中の罪悪感と向き合わなくて済む。しかし投影なので、私達がその罪悪感に向き合わない限り・自分が信じているからこその罪悪感だと認めない限り外にそのシーンを投影し続け、心を牢獄に封じ込める。

 


自我を日常で学ぶ!(自分が望む事 と 自分が人に望む事)

 

ある思春期の女の子が「友達が自分をどう思っているか気になるんだよね。クラスの誰からも好かれたいんだよね。」思春期の時に思いがちな考えだと思う。ある意味・・・思春期を過ぎても僕などは「誰からも好かれたい」など無理なのに「嫌われること」を受け入れることを知的レベルを超えて実感レベルで理解が出来るまで時間がかかったほどだった。笑

Aさん「けど全ての人から好かれるのは不可能だよね。どんな人気者でも、誰かからは嫌われているから」

Bさん「それでも、全員から好かれたいんだよね」

そうこう話している内に「奇跡講座」の言葉を思い出した。

Aさん「ちなみに、あなたは人を嫌う事はないの? 一時期先生の悪口散々いってたけど」

Bさん「・・・たしかに」(笑)

自我としての私たちが望む事 と 自我としての私たちが人に望む事は、なんと矛盾そのものだろうか。この例示からも「分離が起きた。」と信じる「決断」の結果の表れのこの世界の在りようは、まさに、そうゆう決断そのものの反映そのもの・・・まさにレッスン190の文脈で表現するなら「愚かしさに平安あれ」(笑)自我の性質は、全員から好かれたいと思う、けれど自分は他の人を普通に忌み嫌う。この道理の通らない論理が完全に理屈が通っているように見せかけて帰結している。自我をリストラして聖霊を教師としていくシフトをしていくことで「攻撃・批判」というものが実はどのようなものでどの様な役目をしているか分かっていく、そして 攻撃・批判に救済を求める在り方がいかに無意味かを感じるようになり、次第に攻撃を放棄していくことが自分の救済だと理解出来るようになり次第に確信していく。攻撃・批判を完全に放棄し愛の現存を妨げていた障壁が無くなったとき、一度も去ったことがない平安がここに元々あったことに気づく。私たちは平安を求めているが、「投影」はやめない。どうしても苦痛の「原因」を「外」に見てを「攻撃」に「救済」を求める習慣がナチュラル。


「神の使者」という書籍の中のパーサーの一言が印象的だった。あなたが赦しを実践していても、一度でも攻撃したら全てが吹っ飛ぶのよ。「100回赦しをやっても一度でも攻撃することは実は攻撃を保持していることで、同じか?確かに!!」なのである。知的にはすぐ理解できる。けど 自分が「攻撃は」「攻撃でしかなく」「攻撃でしかないこと」を本当に、文字通り理解して、「だから、そこに救済はない」と真面目に理解しない限り私たちは「攻撃」を放棄したいと根底では思わないだろう・・・・そして、この「流刑の夢」を見ることをやめることはしないだろう。それは、救済を手放すように見えるからだ。「根源との分離」を超?本気に信じ込んでいるが故に、これだけの苦痛の中にいるにも関わらず「ここにいる!!」という実感の方が、深い所では「救済」のように感じているのだろう。そうじゃなければ、「攻撃」をもう簡単に手放せているはずだから。その位私たちにとって「根源との分離は本当に起きて神(命)は敵になってしまった。」と信じているのだ。

 

「奇跡講座」の学習者の動画でインタビュアに「素晴らしい人間関係を築く上で大切な事は?」の質問に対して「批判を手放すことだと思います。」と答えていたが、自我と同一化している私たちは自我を否定したり嫌うのではなく、それよりも「自我の性質そのもの」を100受け継いでいるという自覚を持つことの方が有益で逆に自我どの様真理に対してどのように防衛しているかについて気づいていける「助け」の一つである。その自我としての私たちは自分は自由で生きいたと願う一方、自由とは相手を自分の観念の中に入れたり、コントロールしたくなる性質であるということ。アレキサンダー大王が世界を征服した時「もう制服する世界がなくなった。」と言って泣いて悲しんだという話を聞いた事があるが、私たち自我は自分が一番になりたいので、自分以外の他者に服従を求める。(あからさまな場合から柔和な態度から色々だが)その一方で、一体性を求めている。結果、自分中心の一体性というかなり奇妙な在り方となる。これが自我としての私たちの願望であり根底で実は思っている常識。


他者に求めることは実は自我としての自分が望んでいること。愛は何かを要求することが出来ない。

 

テキストを再読して日常で「赦し」をコツコツ練習していくことで

自分はここには所属してないという体験からの理解が始まっていきます。

その理解は、この世界が与えてくれるどんな最高のものをも超越していますし

超越していることに気づいてきますし、その本当の真価に開眼させられますね。

今週の実践の一言 苦しみの原因は決して外には存在してない。


赦しの第一ステップ 問題は自分だと思っているものの外側にあるのではなく中にあることを認めること。

※だからといって、相手の自我を肯定し強化ていくことを推奨していくことではないという点を理解するのは重要。

 

 

 

 

今回の記事のライター  KOJI

 

最後まで通読ありがとうございました。いかがでしたでしょうか?
読んだ方の「独習」のお役に立てたら幸いです。

              

            Photo Machu Picchu by KOJI

日本から24時間くらいの移動時間で到着のマチュピチュ。「天空の城ラピュタ」好きにはたまらない場所・・・笑。

 

 

 

 

 

 

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