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第5回 自我とは?


 「奇跡講座」を読んだ事がない方向けの補足説明    「奇跡講座」とは?


①フロイト心理学 自我は自我(エゴ)はエス(イド)からの要求と超自我(スーパーエゴ)
 からの要求を受け取り、外界からの刺激を調整する機能を持つ。

 エス・・・感情、欲求、衝動過去における経験が詰まっている部分である。本能エネルギーが詰まっていて、
      人間の動因となる性欲動と攻撃性(死の欲動)が発生している部分である。
 超自我・・・ルール・道徳観・倫理観・両親・禁止・理想などを自我とエスに伝える機能を持つ。

 出典:ウィキペキア https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E6%88%91


② 奇跡講座の説明する自我は心理学でいう精神全体に相当する。
  分離した自己、または偽りの自己が実在すると信じる信念のことであり、
  こうした自己は神が創造した真の自己の代替として作り出された。罪、罪悪感、恐れ、および、自分を
  保護するための特別性に基づく思考体系を生起させている<分離の想念>のこと。私達の心の一部分が
  「自分は、キリストの心から分離している」と信じており、心のその部分を自我と呼ぶ。この分裂した
  心には、更に<間違った心の状態>と<正しい心の状態>という二つの部分がある。 ほとんどの場合、
  <間違った心の状態>のことを指すが、分離した心の一部でありながら<正しい心の状態>を選ぶことを
  学ぶ部分を含むこともある。

 出典:JACIMから引用 http://seminar.jpn.com/hareruya.html


「罪」を信じる心が自分自身に「罰」を欲している


きっと、驚くだろう・・・・本当に驚愕していくことだろう・・・・
自分を攻撃し続けていることの実態を自分で本当に少しでもいいから知り始めたら・・・
無意識の領域の心理的な力動のメカニズムを知らないで
、自分の日常で浮上してくる不快感を手放していく実践をしていくことはかえって自分の隠蔽の度合いを強めて行き兼ねない。体験から感じました。

何かの「教え」や「考え」を信じ受け入れて実践していくと、必ず、「結果」を体験します。

その結果は多くある様に見えますが実際は、「夢から覚めているのか」「夢を見続けているのか」

信じてやっていることは、本当は何処に向かっているのか・・・
苦しみの「原因」を本当の意味で知らず、ただ、ただ不快感を手放し続けているだけではないのか・・

色々実践して体験していくプロセスで「奇跡講座」と出会い、そして教義の内容を歪曲無く正確に解説しているワプニック氏の解説(ワプニック解説を正確に翻訳してACIMを日本に伝えている加藤三世子解説の恩恵は計り知れない。)に触れることで、そもそも「奇跡講座」自体が途方もなく歪められて理解されている現状の巨大さに気づいていき始めた時は、「嘘みたいな本当の話」だったので本当に驚愕したのを覚えています。

多くの人が「奇跡講座」の名前を知っているし触れているようですが、その多くが本当の「奇跡講座」の内容を知らないまま終わっている姿を目にしました。また、「奇跡講座」を違うように理解している理解から学んでその理解が本当の「奇跡講座」だと思っているケースが衝撃的なほど本当に多くびっくりでした。え??なんで・・・ってくらい。

人に教える立場に身を置いている人自身が、そうゆうレベルで理解して伝えていることが多いのも、「奇跡講座」の学習レベルの私たちの現状だったり、曲解したいという意味では、私たちの需要と供給のバランスが見事の保たれていて、違った意味で驚愕。ですので、「奇跡講座」自体から本当に学びたい場合は、理論の理解は重要となるのでJACIMにアクセスして理論をしっかり学ばれるといいと思いますし、自分自身で「奇跡講座」が提供している「助け」が果たして自分は求めている「助け」なのかどうか冷静な判断をしっかりして分別を持って勉強することは本当に大切な点です。


「罪」を自分の本質的な一部とみなしてる私たちにとって「奇跡講座」が提供している「助け」への抵抗は尋常ではありませんね。驚愕するほどの抵抗です。だからこそ、コースを学んで実践できるようになるには、(取説を正確に読めるようになって実践できるように進歩していくには)忍耐強さを求められますね。


しかし、自分の中で途方も無い抵抗があろうとも、それを超えて実践をしたくなる程の癒しの恩恵です。自分が惨めであることを心の中にあることを正直に認め、本当に解放されたいと一心に願い意欲を差し出すなら「奇跡講座」の学ぶの道は本当の解放に導く一つの道であり、きっと途方もなく感動することでしょう。私たちはいづれ肉体を横たえますが、必ず肉体だと思っている知覚が消滅していくように感じる知覚と遭遇していきます。ですから、単に肉体を自我としての自分の目的に使って分離を強化していく目的に使って死んでいくか、真理に帰るかでは、途方も無い違いです。

本当に苦しみから解放されたいと懇願していた人には絶対に最高の答えとなるでしょう。
ずばり、処罰の思考体系からの脱出を可能にしている「奇跡講座」の導き方も非常にユニークで脱帽です。

真理の否定は、誤った創造すなわち自我の投影をもたらす。
誤りの否定は心を自由にし、意志の自由を再び確立する。
意志は真に自由であるとき、真理のみを認識するので、誤創造はできない。(TX-2)


きっと多くの人が「奇跡講座」に惹かれても、ページを開くのも・・・・よっこらせ・・・。その位、実際は「救済」を望んでいない・・・・。こんなことを聞くと「そんなことない!!」って私たちの多くの誰もが言うかもしれない。でも、自我としての私たちが望んでいるのは本当の救済よりもむしろ、現実が変って癒されると感じる方の癒し止まりというのが関の山であり私たちの現状ではないだろうか?

だからといって、この世界を楽しんでいるのは愚かだとか、そこに癒しを求めてしまうことが低能とかそうゆうことでは全くない。でも、きっと、「奇跡講座」の教えている内容の壮大なスケールさを本当に一瞬でもいいから垣間見、感じることができ、知ったなら望む現実の連続の永続化を望み探求している自我としての私たちの頑張りや探求がどれだけ裁きの思考体系の維持に単に忠誠を誓い騙され続けることを自分に許容していただけだったか知り愕然とするだろう。



お互いが敵になり、傷つけ合うゲームに明け暮れる夢を余儀なくされ、
現実が変ることで癒されるという虚偽が、どれだけ、愚かな希望なのかと悟り始めたら、誰一人例外無く反旗を翻すに違いない。

肉体だと思っているその感じ方は、投影の結果の知覚であるが、時空の外にある心のレベルまで戻って原因のレベルで癒されて行く救済を可能にしていく実践までいくのも、相当な落とし穴と赦しのプロセスがある。

自我との固い密約をしているため真の癒しとはどうゆうことを言っているのかに気づいていけるようになるにも、幻想を取り消していくことで理解されていくような感じだ。

私たちは、真の癒しから相当遠ざかっているが、これは、辛い状況を耐え忍ぶということでもなく自分のやりたいことをやっていけないとか、夢を持つことが無益だということではさらさらない。スピリチュアルでよく言われる「現実は幻想」という概念ほど、葛藤をさらに生み出す為に自我が誤用しているものはないのではないだろうか。

下記の絵のよう!(カートの使い方間違えている!) すぐ私たちは、分離を強化を正当化する為に使ったりする。



例えば、状況のせいで自分が不幸だと思っているところに、この「現実は幻想」という概念は余りに簡単に誤用されることは起る。自分の自我(闇)を直視していかないためなどに非常に多用されることは頻繁に起きている。




そういった意味でも「奇跡講座」+「コース理解の第一人者でもあるケネス・ワプニック先生の解説から学ぶ」というのは「奇跡講座」を学ぶ上では大切なのではないかと個人的には思っている。

ワプニック先生の素晴らしいところは自分の体験から話しているような解釈ではなくという点です。

ワプニック解説から学ぶ恩恵は「奇跡講座」が何を言っているコースなのかを正確に解説してくれているので非常にわかりやすく、この世レベルで実践がしっかり出来るように助けてくれるのが大きな特徴です。

ワプニック解説の論理の解説の包括レベルは正確に「奇跡講座」の理論を知って学び実践したい場合、とても大切です。多くの場合はどうしても聞き手側を自分に傾倒させていく動きが出てしまうものですが、人間の教師の方に依存したりしていく方に向いていくのではなく内なる教師」に向かうようにナビゲートしていく解説であり、そうゆう点も自我を教師にしている教師と聖霊を教師にしている教師との明確な違いです。

スピリチュアルを通して関わりあう人間関係の多くも、どうしても共依存になりがち。常識も本当に見失いがちになりますし、自分の願望や欲求を満たす手段としての「奇跡講座」にしてしまうものよく起きているようです。

本格的にある罪悪感取り消していける実践が出来るようになっていくサポートレベルワプニック先生の解説の恩恵は計り知れないわけです。

実践が本当に楽しくてたまらなくなっていくと思います。(勿論、困難なプロセスは一杯ありますが。)そして、実践は凄〜く地道でコツコツしています。でも、と〜〜っても、と〜〜っても楽しい。(地道でコツコツですけどね。笑。)そして、一生涯、自分がここにいるという知覚がある間続けていく実践です。

一見プロセスは大変な様に感じ方もいるかもしれませんが、楽しくてやめられなくなると思います。その位、短絡的で一過性のものではないものです。一時の癒しなら、行動して好きなことをして幻想から幻想にシフトして癒しは体験できますが、その癒しの特徴は短命に終わる所です。(笑)幾ら自分の不快感を状況の中に見ていかない実践をしても、それが、現実を変容させていくものに希釈されるなら現実の中の変化の中に癒しがあるという自我の思考体系の枠組みであり、自分の信念を強化するだけでその実践は本当の癒しには繋がりません。信奉している考えや教えを実際実践して実際何処にいくのか、行っているのか、導きの内容のそのものの見極めも非常に重要です。



状況から不幸や幸は湧き出ません。他者がムチで叩いているのでもなく
打たれるから苦しいのではない。(だからといって、暴力を我慢して耐えることではありません。)



実際は、上記の絵の様に、自分が自分にムチを打ち続けている。自分が自分を神が創造した存在と違うものとして見ると言う決断したことによってもたらしている。自己中心的な決断は自分を必ず不幸に導きます。だからこそ、自分の間違いに気づいて更生していけるわけですよね。

「奇跡講座」を本当に理解し始め実践していくと、状況に左右されない心の平安が増していく。やれば、やるほど、やめられなくなる。癒しが凄くて。これが「奇跡講座」のすごい所だ!さぁ〜〜今日も赦しの実践で「投影の逆転」をしていきましょう〜〜。

今週の実践の一言


誤りの否定は心を自由にし、意志の自由を再び確立する。

 

 

 

 

 

今回の記事のライター  MIKA

 

最後まで通読ありがとうございました。いかがでしたでしょうか?
読んだ方の「独習」のお役に立てたら幸いです。

              

                 Photo okinawa by mika
                海岸をお散歩。気持ちいいですね。

 


   

                             

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