私は、ただ神の法則のもとにある(誤解しやすいレッスン)

 

JACIMから理解を深める為の素晴らしい動画がアップしましたのでご紹介させて頂きます。

 
 これは、2011年1月の講話で、ワークブックのレッスン76について解説しています。
 このレッスン76 「私は、ただ神の法則のもとにある」 も、非常に誤解されやすいレッスンです。
 このビデオでは述べられていませんが、過去において、このレッスンを文字通りに受け取って
 人間社会の普通の法則を無視しようとした人々により、多くの問題や混乱が生じたとのことです。
ワプニック先生が 「レベルの混同」という解説を始めたのは、こうした状況に対処するためだったそうです。
                                            出典 JACIM
 

この動画の名場面・名台詞(書き起こし)


この動画もなかなか自我の抵抗が強く自分なりの解釈・わかったつもりになりますが・・・
文章で書き起こしていくと本当に深い事を言ってますね。
文章全文を書き起こしましたのでご活用ください。

今日はレッスン76についてお話します。
「私は、ただ神の法則のもとにある」というレッスンです。
これも、このコースの中で容易に誤解されやすい箇所の一つで・・・
このコースの教えが、目も当てられないほど誤用されやすい、つまり乱用されやすい箇所です。
このレッスンのポイントは、コース中の他の多くの箇所のポイントと同様に・・・・

学びの階段を上がっていく私たちに、階段の上の方の生活はどのようなものなのかを
垣間見せてくれるものなのです。

この世界で、肉体をもちながらも進歩した神の教師として生きるとは
どうゆうことなのか

このコースが私たちをどこへ向かって導こうとしているのか
その先に何があるのか、ということを見せてくれています。
このレッスンが教えていることの肝心な点は
ひとたび私たちが自我になると決めたなら
ということは、つまり、神の子が「無罪ではなく有罪となる」と決めたということですが・・・
そうなると、私たちは、自我の戦略と一体感をもつようになります。
その戦略とは、自我の自己保存の手段です。
心から出て肉体の中へと自らを投影するということです。

そして、こうしたことのすべての目的は
いつも繰り返し述べているとおり、私たちを永遠に「心から離れた状態」にしておくことです。
私が心でなくなっているなら心を変えることはできないからです。

そして、心を変えなければ、自我を選んだという間違った決断を、どうして訂正できるでしょう。
ですから、ひとたび私たちが肉体の世界の中に存在するようになると
分厚いベール、または鉄のカーテンのようなものが心にかかってしまい・・・
自分の心がこれを選んだということを、全く思い出せなくなります。
自分の肉体と信じているものと自分を同一視する以外のことは、できなくなります。
そうなると、私は「肉体を司る法則」のもとにあることになります。
「肉体を司る法則」とは、どうゆう意味でしょうか。
例えば、「発育の法則」などがあります。
「走るようになる前に、歩けるようにならなければならない。」
「歩けるようになる前に、這い這いができなければならない。」
「這い這いができるようになる前に、起き上がって座れなければならない。」
「言葉を話せるようになる前に、声を出せなければならない。」
「発声できるようにならなければならない。」
「そして、しばらくすれば・・・」
「それらの音をまとめて、単語としてつなぎ合わせることができるようになる。」
ですから、発育の諸段階というものがあります。
また、私たちが成長するにつれて通過していくさまざまな段階があります。
幼児期から児童期へ そして、子供時代から、思春期へ
青年期から成熟期へ、老年期から死へと。
そして、これらのことを司っている法則もあります。

例えば、病気を支配している法則があります。
重力の法則があります。人間関係の法則があります。
相互利益の法則があります。その他、ありとあらゆる法則があり・・・
そして、これらのすべてが、私たちが従っている法則です。
もし15秒から20秒くらいの感覚でちゃんと呼吸しなければ、私たちは死んでしまいます。
数日間、水を飲まなければ・・・また、食べ物を食べなければ・・・
私たちの肉体はかなり苦しみ、いづれは死んでしまいます。
このように・・・私たちの生き方を支配する明確な法則が、存在しています。
個人としても、人類としても、また、地上のどんな生き物としても、です。
私たちが自我になると決めている間は、これらの法則は有効なのです。
つまり、肉体をもった存在でいると決めている間は有効、ということです。
そして、明らかに、このコースの中で
これらの法則を無視するといった無謀なことを勧めている箇所はまったくありません。
まだ「自分を肉体だ」と思っているときに、「自分は肉体でない」と証明しようとしている
という理由で、これらの法則を無視することなど勧めていません。

一方、神の法則とは、
究極的には、愛の法則であり、永遠の命の法則であり・・・
一体性の法則でもあります。
これらはすべて、神の「一なる意志」について語るための色々な表現です。
また、「一なる神、「形をもたない神」を語るための表現です。
ですから、天国には、そうしたいわゆる法則といったものはありません。

「私たちが神の法則のものである」と言うときに、意味しているのは何かというと・・・

私たちは、「正しい心」の法則のもとにある、ということであり
それは、天国の法則の反映です。
ですから、「正しい心」によるビジョンとは、「私たちがみな同じ」ということであり
それは、天国の「一体性の法則」の反映です。
このコースの中心的教えである「赦し」においても
つまり、私たちが、自我ではなく聖霊を選ぶときに起る「赦し」においても
「天国の愛の法則」が反映されています。
このレッスン76のポイントは、私たちが何をしているのかを、私たちに認識させることなのです。
ですから、例えば、私たちが病気のときには・・・・
特定のものごとが、病気を癒す助けになると、私たちは信じています。
従来の医療であろうとなかろうと医療以外の方法であろうと、同じことです。

具体的な病状と思えるものがあるとき
この世界の中には、「奇跡講座」なら「魔術」と呼ぶものの中で
私たちの助けになるものごとがあります。

それは、この世界の法則に従っている、ということになります。
どんな法則に従っていようと、どの陣営に属していようと、特定の法則があります。

こうした法則を使っていけないと、イエスが言っているのではありません。
そうではなくて、そのかわりに、真の原因を認識しないさい、と言っています。

私たちの身体的疾患の真の原因は・・・
つまり、症状の真の原因は・・・
有罪になるという、心の決断だということです。
苦痛はそこから生じているのです。

第27章の中に次のような文があります。
苦しみをもたらしていると知覚されたさまざまな原因の中に
自分の罪悪が含まれているとは、私たちは思ったことはない、と。
これは、実際には、罪悪を選んだ決断という意味ですが。
それが、私たちの苦しみの原因だからです。
ですから、私たちが「赦しの反映」としての「神の法則」のもとに
自分を置くことにより、私たちが、実際に言っていることは・・・
「赦しが、世界のすべての法則にとってかわる」ということなのです。
「私の心は安らかで、あの“中心にある静けさ”の中にいることができる。」
「あの“内なる荘厳な静けさ”の中にいることができる。」
こうしたことが、自分の体や、親しい人々の体に何が起っているかに関係なく、可能なのです。
私が「病気」と呼ぶものの形は、消え去るかもしれないし、消えないかもしれません。
消えることが「癒し」なのではありませんし、消えなくても「癒されていない」わけではありません。

癒しの有無とは、心が罪悪感か赦しのうち、どちらかを選んだかということです。
それが、私を聖霊の法則のもとに置くのであり・・・
そうした法則こそが、「神の法則」の反映です。

それが、このレッスンのポイントです。
私たちが自覚できるようにするためのものです。

私たちは世界の法則にしたがっているのは、肉体として存在していたいからだ、と。
そして、それを取り消すための最も愛のこもったやり方は・・・
依然として信じているというのに、これらの法則を否定することではなく、自分が何をしているのかを見て
充分に自覚することです。
自分は、今も世界の法則に支配されることを選び・・・
しかも、神の法則への防衛として選んでいる、ということを。
もし私がそれをしている自分を、裁かずに見ることができれば、それが癒しです。
なぜなら、病気とは、裁きだからです。
まず自分に対する裁きであり、次に自分の体に対する裁きです。
そして、癒しとは、ついに「正しい心」の目で見て、これには何の意味もないと言える、ということだからです。
これを実践していようといまいと、私たちの中には、「自分は、世界の法則ではなく、神の法則のもとにある」と
知っている部分があります。


 現実が良くなったから癒しが起きている?と私達は思いがちではないでしょうか。

 現実が良くないから癒しが起きていない。と私達は思いがちではないでしょうか。
 自我に信を置いている私達は、この世界に意味があり、リアルのようには感じます。
 けど、本当は何も起きてないと知っていくことは贖罪を完成させていくことではないでしょうか。


 

 

 

 

 

今回の記事のライター  くり&みか

会社の売上げを上げたくてスピリチュアルをスタートして、自分の内面を見る様になった時に心眼の体験・光の体験があり、それがあまりにも強烈な体験だったので
その答えを知りたくて探求して出会ったのが奇跡講座でした。

大好きな場所:セドナ

 

実践されてみて何かシェアがあれば是非メールをくださいね。 info@seminar.jpn.com (栗原宛)

 

 

 

 

 

 奇跡のコース(奇跡講座)を友に学ぶ3ヶ月コース。”神・真の自己を思い出す時間”

 

 

 

 

 

 

 

 

第1回 背番号42 世界を変えた男(赦しの実践がイメージできる)
メジャーリーグでは年に1回この背番号を全選手が着てプレーすることを「42」

   
 
   
   
  


   

                             

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