第16回 「奇跡講座」を学ぶ時に学ぶ姿勢の重要性と大切さ

 

※「お前のせいで苦しんだよ。バッキャッロォォォォ〜〜〜〜」心底叫んでいる自分を心底自覚しよう!!!

 




絶対に、どんな苦痛も惨めさも、何としてでも、「人のせい・状況のせいにしないことです。」これは、実践鉄則です。もし、出来ないなら、どうしても恨みたい自分を100認めて自覚することです。しかも、極めてハッキリ「自覚」することが絶対的重要になってきます。誤摩化しなしです。傲慢・高慢な私たちが「赦し」を学ぶことは大変な努力と忍耐強さがないと上達していくことは難しいでしょう。100パーセント自分が正しくて相手が間違っている。という生き方を手放して、自分の心の平安はどんな外的状況からも影響を及ぼされることがない事実を受け入れていくプロセスが「赦し」ですから、大変な困難さの道です。
私たちは、語って楽になっていく習慣が定着しすぎているため余程、意識的に生きないと曖昧にしがちで自覚しようとしません。アイコトバは、人のせいにしないです!!これは、本当に重要なポイントです。してしまったら、きちんと、ジャッジなしで人のせいにしたい自分をハッキリ認めて本当に自覚することで、道がもの凄く開けていきます。

現実だと思っているものは直線的に起きていません。夢を再訪している様なものです。 私たちは寿命があって、この人生が終わったら、次の生があるのか、上がりなのかと考えがちですがエンドレスに壊れたテープを見続けているようなものです。眠って夢を見ているにも程があるだろう・・・という程の想像を絶する規模の忘却のスケールです。もう人せいにしなくて本当にいいのです。深く深く実在しない「闇」を存在していると信じ込み確信している私たちは真の一体性を破壊が出来たと本気で信じているので、裁きから逃れたい一心の私たちなのに、怒りを正当化することに頑張ってしまいます。

もう怒りは正当化しなくていいのです。心の中の罪悪感を本当に癒していけるのです。怒りは=自分の罪悪に対する顕著な防衛です。怒りの表現=自分の罪悪の投影の正当化です。裁きのもたらす罰から自分を救う方法が裁きそのものという狂ったシステムに従っていることに気づけず私たちは、自分がやっていることが全く見えず 不満がどれだけ有毒であり攻撃がどれほど自分の心を蝕み苦しみ抜いているのか全く分からず、どうしたらいいのだろうと絶えず苦しんでいる全貌を知りません。本当に日常で赦しをしていくようになると、本当にこの狂気の全貌が分かっていきます。

「赦しましょう」。とにかく「赦し倒してやる!!」と言う位、 真剣に「自分の幸せ」に本気になってやった方が身のためです。外に自分の苦しみの原因があると見ていくことは本当に自分を奈落の底に突き落とし続けます。真に癒しされていくのに遅れをとる必要などあるだろうか・・・と言う感じです。

「闇」の中に「光」はありません。そして、ここは「闇」になれると信じた決断の結果です。「光の中に闇がほんの少し」「闇の中にも光がほんの少し」という陰陽のシンボルがありますが、「光」「光」でしかなく、「闇」「光」が一緒に同室にいるような幻覚は夢の中だけで為されている茶番で実在させられません。この様な狂気は夢の中だけのお話で、怠惰描き出す病んだ心空想です。

それを確実に思い出して本当の正気を取り戻していくには、常識を見失わず普通に生きることを忘れずしっかり生きていく中で、対人関係で出る不和や人生でぶつかっていく困難なものをサインとして自分の心の中に戻って不快感は自分の決断から生じている自覚がしっかり上がった状態で赦していくことが重要になっていきます。下手をすると、スピリチュアル途方も無く癒し妨害者になりかねません。

「奇跡講座」を学ぶ際は、今までの学びを完全に脇に置く必要がありますし、「奇跡講座」自体が非常に誤解されて
理解されているケースが、余りに多いため、差別ではなく、大真面目なお話で、本当によ〜〜く「区分け」
出来るようにならないと、あっけなく脱線してしまいます。そして脱線しても気づけません。



雲が太陽を隠すことは出来ますが、決して濁す事は出来ないと同じことで「闇の中にいる」と自分が気づくには
完全に知覚が上下逆さまになってしまっていますので、「赦し」をしていく以外に気づいていくはありません。
投影するものがなくなるまで、夢が消えることがありません。赦しをして行く時、激しい抵抗などがあるので
赦す事は簡単に出来ない面が大にして多いので根気です。赦したい意欲さえあれば、幸せでいたい気持ちにさえ
正直本当まっすぐになれたら、一歩一歩進んでいくことは確実に着実に可能です。

大変ですが、夢を見ている間、自分に対して粘り強い忍耐と思いやりを持ち、状況の中に不快の原因を見ている自分を真面目に自覚に上げることが大切です。状況の中に幸せの原因や不幸の原因を見ている限り、苦しみから真に解放されることはありません。それをしている限り、エンドレスに何か代替えを探す以外になす術がない状態となります。


「自分は何が最善の利益かも、知らないという自覚」そして「ホントに自分は何もわかっちゃいないんだ!!ということの自覚」が吹っ飛ぶ瞬間が要注意!!コツコツ読み込みをして、実践をしていくと、必然的に理解は深まっていきますが、学びと学びの間で以前よりも深くなり、あ〜〜そうゆうことか!!と分かった!!と深い気づきがありますが、その瞬間に、既に自我は差し込み、「自分は知っているという状態」に、いつの間にか見事にすり替わっている!!落とし穴!!この見事な落とし穴には、本当に要注意なのです。



何かがオカシイ・・・・私たちの誰もが、苦しみに耐えられず、形態の「完璧さ」さえ手に入れられたら・・・
望みの状態さえ継続が出来きたら・・・それに熟達していく練習をしたり、自分で思った通りの現実さえ作れたらきっと幸せになれるのではないか・・・そうしたら、きっと、この途方も無い惨めさ・苦痛から解放されるのではないかと色々な角度から一生懸命、探索をするものです。

そして、形態が思い通りに行くシナリオでも思い通りにいかない人生でも、苦痛があって「何処か・・・何かがおかしい・・・」と立ち止まり、ふとした瞬間に
自分の本当の苦しみ」というものの根源を知りたい・・・どれだけ実践しても何処かがおかしい・・・etcそんなタイミングが訪れるものですが、霊的な進歩の道には、巨大な自我の警告状の張り紙と落とし穴が膨大。真の幸福への道には、余す事無く自我の画策が煎じられ、その「毒薬」処方されています。

ただでさえ、「スピリチャル」というカテゴリーは「ヒーラー」が「先導者で癒し手」で「クライアント」が何故か「癒されていないもの」という相当「真の癒し」からかけ離れている中での、関わり方が真面目に多く、クライアントもセラピストも自分の自我の策略に見事にハマってしまうことを「許容」して特別な関係という真の愛の代替えになっていることの方が常識的だったりしますし、私たちが、思い描く「スピリチュアル」と言われているものは、実際には、自我としての「私たちの生活していく資金源」としてだったり、自分の特別性を体験したくて発信しているだけだったりと、本当のスピリチュアル実践とは相当内容は違っていたりします。

そして、「二元」と「純粋な非二元論」では、全く向く方向が違い、この「区分け」「差別」ではなく、非常に実践をしていく上で大切な理解です。スピリチュアルというのものは、知識を知っているというだけで、何故か、他者より「崇高」だと本気で、勘違いし出してしまう事も平気で起っていますし、常識を非常に見失ったり、普通の人であることを、とにかく、忘れてしまうのです。

JACIMのQ&A39で「非二元論の危険性について」解説がありますが「非二元論」だけでなく「二元論」「スピリチュアル」でさえ同じ様に「現実は幻想」という意味を相当はき違えて、勿論、わざとではなくいつの間にか「非常識」になってしまったり、「逃避」するためのスキルに、どうしても、なってしまいがちで形而上学を重視した「理論」が欠落した実践は、どうしても、曖昧で実践が歪曲してしまい「真の癒し」から遠く離れていってしまいがちです。

この「スピ系」の「驕り高ぶり」は、世俗的な角度から言えば、物理的成功が、成功だと勘違いして自分は人より抜きんでていて「偉い」から威張っていい、「人を従えてよい」という様に、勘違いしてしまうみたいなものに相当することかもしれません。私たちは「崇拝」する事も好き、「崇拝される」ことも、この上なく好きですから、「ここ」を実は好きなことを本当に自覚して、それは一体どうゆうことかを理解して放棄していくのは、ある意味簡単なことではありませんし、歪曲ない理論を、しっかり学び、理解していかないとコロっと脱線「虜」になってしまう通過点かもしれません。



来週の「奇跡講座を深く学ぶコラム」は「差別」ではなく「区分け」の重要性についてです。

コラムの引用、コピーなどはご遠慮ください。

本日の実践の一言 自分が崇拝したいこと。崇拝されたい実情をしっかり自覚する。

 

偶像とは、偽りの印象もしくは偽りの信念である。すなわち、何らかの形の反キリストであり、それがあなたに
見えるものとキリストとの間に一つの隔たりを構築している。偶像とは、具現化され形態を与えられた願望でありそれにより、実在するものとして知覚され、心の外側に見られているものである。しかし、それはあくまでも想念であり、その源の心から離れることはできない。その形態もまた、それに表象される想念から離れてはいない。

                                 テキスト29章セクションⅧ段落3


 

 

今回の記事のライター  MIKA

最後まで通読ありがとうございました。
このコラムはいかがでしたでしょうか?
読んだ方の「独習」のお役に立てたら幸いです。

              

         Photo カセドラルロック  by MIKA

 

 

 

 

 

 

 

 奇跡のコース(奇跡講座)を友に学ぶ3ヶ月コース。”神・真の自己を思い出す時間”

 

 

 

 

 

 

第11話 ファーストステップ怒りの取り消し

上記の絵、通常の私たちの在り方ですね。攻撃は色々な形態を取りますが・・・
第12話 見抜け!!不必要な感謝

上記の絵、よ〜〜く胸に手を当てて感じてみると心当たりありませんか?

第13話 奇跡講座の内容を希釈すると真の癒しの道から脱線していく。(その1)

私たちは誰もが幸せを求めていますし、幸福でありたい。と誰もが思います。

第14話 奇跡講座の内容を希釈すると真の癒しの道から脱線していく。(その2)

前回の続きとなります。自我は、この世界の幸福とされるものが相対的な概念でし・・・

第15話 もう「真の原因の罪悪感」に取り組んでもいい

「他者や状況の性にする生き方」が、実際どれほど自分たちを熾烈痛みと・・・

 第16話

 


   

                             

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