第12回 見抜け!!不必要な感謝

 

※闇(罪悪感・虚無感・惨めさ・喪失感etc)を直視することをたじろがない勇気

 



上記の絵、よ〜〜く胸に手を当てて感じてみると心当たりありませんか?私たちが自分への激しい憎悪をみていかないために意外に多用している防衛の一つの似非感謝。違和感でも中々やめられなかったりする。凄い長いプロセスの中で気づいていったりするそれは、不必要な感謝この「似非感謝」から解放されるとまた一つ本当に楽になります。誇大広告と似たようなものですが意外に多い必要以上の感謝


自分が下した決断で生じた壮絶な「罪悪感」に圧倒され耐えられず、投影するために世界を作りだし肉体は罰することで、真の罪悪から逃れよう・・・一体性を破壊した大罪の処罰を逃れよう・・・そんな心の一連の動きなど、投影の結果としての知覚である肉体と知覚している私たちにはいささかも 理解できない実態。


だからこそ、絶対に悍ましい程の自分の醜さを見ていきたくない」という心理となる。(勿論、醜さに向き合えなくて、そんな風になっていると自分では毛頭気づいていない。)自分の日常で「赦し」を実践してアイディンティティが肉体から離れ心が認識されていくようになるまで忘却のベールの上の原因のレベルで自分の決断で罪悪や恐れを生じさせている状態だと理解が本当に落ちていくまで)自分だと思っているその醜さを直視て「自分のでっちあげ」と受け入れて取り消していく実践まで進歩してけるようになるまでのプロセスの道のりで相手に必要以上に感謝し素敵な人に見てしまう。

相手を素晴らしい人にしてしまう。祭り上げてしまう。違和感があっても、相手を絶対等身大で見ようとしない。

時間と空間の外側にある心のレベルに戻れるようになってそこで赦しのプロセスを踏める様になって初めて、 他者美化して行く必要から解放され、もの凄い安堵感が戻っていた。この不必要感謝からの解放は言葉で語れないほど。

忘却のベールの上の時間と空間のにあるに入って、本当の原因のレベルでの「罪悪」を取り消していかない試みこんな形態をまとうこともあることを知っておくことは実践していく時、役立つかもしません。

結構、この不必要な感謝自分の「闇」を見て行かないで済むことにかなり役立っていて惨めさ自分へのもの凄いえげつなさと向き合わないで済むのです。「感謝」も相当な隠蔽行為だったりします。 「感謝」することで自分の「闇」を隠し持つ試みもあります。

また、違うパターンでは、自分を「光」として周りに「闇」を見ることで自分の「闇」を直視していかない防衛。
自分を「闇」としていく場合も、そのことで原因のレベルで「闇」を直視していかないことに役立っています。

忘却のベールの上の原因のレベルでの癒しにいかないようにする私たち自我の試みは、忘却のベールというだけあって、相当な分厚いベールだと実感します。


まず、原因のレベルでの癒しは時間と空間の外という点も「赦しの実践」をコツコツと意欲を持って「赦したい」と思って実践していく中で理解されていくのですが、「結果のレベル」自分が「赦し」ができている気なっていたら・・・自分の決断で恐れや罪悪を生じさせていることにいつまでも気づかないなら・・・いつまでも外の現象によって癒されるという錯覚にしがみ付いていくことを止めないなら・・・・この「奇跡講座」の教えている内容を誤用して、この地上にユートピアを築こうとする試み歪曲して実践していくなら・・・この学びの道での進歩は期待できないでしょう。

ある傾倒していたニューエイジ系の学びでワクワクに動くことで出て来るものを手放すと目覚めていけるという
コンセプトをスワットの様に実践をしていた時期がありましたが・・・・
ある時、私の中で粉砕するように・・・・そうだったのか・・・驚愕・・・自我としての私の目覚めは・・・・
自我の「目覚め」とは・・・自分の望む現実を作れるようになること・・・ 確かに・・・納得。


「奇跡講座」の内容を希釈して世界のレベルに引きづり下ろしてこの世界が変わることに希釈してしまった実践は
幻想から幻想にシフトしていくことのみとなります。「真の癒し」へ繋がっていく「赦しの実践」を希釈してしまっているのでそこでは「真の癒し」起らないし「永続的な心の平安への癒しの道」には繋がりません。

心というものは、この世レベルで財産に恵まれ物質的な面で何の苦労もない生活・・・要するに物質的な困難さを
一切経験しない生活というものが、心の平安というものを提供してくれたり保証してくれたりしてくれないという
ことです。また逆にスラムのような生活が心の平安を脅かしたり苦痛の原因でもないということ。

どんな外的状況の映画を見ていても大切なのは、とにかく自分の目の前に用意されている全てを真剣に頑張ってみることは幸せに繋がっています。スピリチュアル実践で外的状況を好みのものに変っていくために一生不快感を捉えて手放していく作業は結果的に徒労になります。この世界を自分の望み通りにしていくために「赦し」を実践していくなら外的状況を変えていくために使っていくしかなくなる袋小路となります。

「奇跡講座」
内容は、実践内容希釈しないで実践していければ、自然と「裁き」は違和感に感じるようになっていきますので、消滅していく方向に導かれていきます。状況の左右されない心の平安がどうゆうことかを知っていく方向に向かいます。しかし、「奇跡講座」理論内容を希釈していまうと、まるで、不快感の原因を外にみず内側にある事実に気づいていく実践が外的状況を変えていく方向にいつの間にか向かってしまいます。うまくすり替えられている(いく)のですが要は、状況を変えていくためのスキル的なものにしてしまっていくので自分が忘却のベールを超えて決断の主体であることに気づいていくことができません。

確かに、不快感を不愉快な出来事の中に見ないで、自分の心の中の決断だと気づいていき「赦し」をしていくと扱現実が好転していくように感じられる体験は起きていくのですがそこに捉われるような自我の解釈に気づかず、実践を希釈して、自分の好きなことを体験出来ることに歪曲してしまうなら、自分が決断の主体であり、心であり、
恐れを作り出している張本人だと気づくところまでいけなくなってしまうので真の癒しからは相当かけ離れます。

問題はこの世界にないことを自覚させ、真の自己を思い出して世界を消滅させることの出来る動きの「奇跡講座」の内容を、この世界を平和に変えていく動きに匠に誤用したり希釈してしまったりして実践すると、「真の癒し」とは別方向に向かいます。

私たちは投影から生じている知覚に捉われているので、世界が消滅していく。と聞くと自分が消えてしまうという恐怖を覚える様になっています。肉体との一体感を手放すことに対する恐れが、その一体感を支える思考体系を維持しているのです。自分の自我というものが、本当に幻想を維持したいと思っていることが100まじりっけないことを自覚しないと余りに容易に夢を見続ける方に誤用していきます。



自分の決断が「恐れ」「罪悪」を生じさせている原因だと気づくことは壮絶な惨めさ欠乏感一切外で取り消して行こうとしなくなるので本当に心がもの凄い癒されていきます。これこそ、ホントにエキサイティングです。

私たちの関係性の多くが「自分への憎悪を見ないでいるための蓋」であるし人付き合いも殆どが、赦しを知らなければ、欠乏感を埋めるためのものであり自我の目的に突き動かされているので「蓋」。でも、非神聖な関係がそれが変容していく体験は言葉には語り尽くせない感動があります。「奇跡講座」という「助け舟」を実際に使って実践出来るようになるのは理論の曲解ない理解は必然的に重要となってきます。

沢山超えていくハードルがありますが、本当にエキサイティングです。レベルの混同
本当慎重にしっかり、区別が出来るようになる事もポイント重要。罪悪感が愛を感じなくさせている防壁ですが、その本当の罪悪に取り組まないために、この世界があるわけですが、「赦し」を実践していくと「この世界は幻想」だからといってそれを否定しても何の意味もないという点も本当に理解できるようになっていきます。この恩恵も計り知れないと思いませんか?セッションをしていても、この点を払拭された方の安堵感は同じプロセスを辿ったものとしても本当に嬉しいです。

この世界を否定するのではなく全てのシンボルに「奇跡講座」の教えている概念を当てはめて実践していけばいい。常識見失う事無く、普通に生活していく中に確実に実践されていく本当に「質実剛健」体験は本当に言葉を超越しているのに、体感に魅了されることもない。本当の「奇跡講座」を学ぶことは、堅実で着実で、飾りや虚栄もなく確実であり誠実で本当に地に足が着いて、もの凄く地道でコツコツしているのに、すご〜〜く楽しい。



コラムの引用、コピーなどはご遠慮ください。


原因のレベルで癒しを受け入れる実践が始まる時、奇跡講座の内容がどれだけ半端じゃないか垣間みる


本日の実践の一言 不必要な感謝を多大にしていませんか?他者を美化していませんか?

 

テキストの再読と解説の再読&再視聴は日頃の赦しの実践を本当にサポートしてくれます。


 

 

今回の記事のライター  MIKA

最後まで通読ありがとうございました。いかがでしたでしょうか?
読んだ方の「独習」のお役に立てたら幸いです。

              

         Photo sedona Airport Mesa  by MIKA

 

 

 

 

 

 

 奇跡のコース(奇跡講座)を友に学ぶ3ヶ月コース。”神・真の自己を思い出す時間”

 

 

 

 

 

 

第11話 ファーストステップ怒りの取り消し

上記の絵、通常の私たちの在り方ですね。攻撃は色々な形態を取りますが・・・
第12話 見抜け!!不必要な感謝

上記の絵、よ〜〜く胸に手を当てて感じてみると心当たりありませんか?

第13話 奇跡講座の内容を希釈すると真の癒しの道から脱線していく。(その1)

私たちは誰もが幸せを求めていますし、幸福でありたい。と誰もが思います。

第14話 奇跡講座の内容を希釈すると真の癒しの道から脱線していく。(その2)

前回の続きとなります。自我は、この世界の幸福とされるものが相対的な概念でし・・・

第15話 神は愛なので罰しません。「真の原因の罪悪感」に取り組んでもいい

「他者や状況の性にする生き方」が、実際どれほど自分たちを熾烈痛みと・・・

 第16話


   

                             

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