第12回 見抜け!!不必要な感謝

 

※闇(罪悪感・虚無感・惨めさ・喪失感etc)を直視することをたじろがない勇気

 


上記の絵、よ〜〜く胸に手を当てて感じてみると心当たりありませんか?
私たちが自分への激しい憎悪をみていかないために意外に多用している似非感謝。
違和感でも中々やめられなかったりする。凄い長いプロセスの中で気づいていったりする
それは、不必要な感謝この「似非感謝」から解放されると本当に楽になります。
私自身がこれ自体にきづいたのは、かれこれ10 年位前!!
苦しみの根本原因は時空の外にある心の決断だが、その決断がまったく認識されていないとき
肉体自体が神との分離は起きたと信じることを「決断」した結果で自分で生じさせているものであり
自分が下した決断で生じた壮絶な罪悪感に圧倒され耐えられず、投影するために世界を
作りだし肉体を罰することで、真の罪悪から逃れよう、一体性を破壊した大罪の処罰を逃れようとする、
心の一連の動きなど、投影の結果としての知覚である肉体と知覚している私たちには信じられない
程の実態であり、自分が分離を信じる決断をしたことによって起きている決断の奴隷になっているという
徹頭徹尾狂った思考体系であり、完璧に病んでいるのだが、神との分離は起きたと信じる
自分の決断により、知覚される主体となっていることに気づかない間は
絶対に悍ましい程の自分の醜さを見ていきたくなくて、という心理となる
(勿論、醜さに向き合えなくて、そんな風になっていると自分では毛頭気づいていない。)
忘却のベールの上の原因のレベルで自分の決断で罪悪や恐れを生じさせている状態だと理解が
本当に落ちていくまで、その醜さを直視て「自分のでっちあげ」と受け入れて
取り消していく実践まで進歩してけるようになるまでのプロセスは実に実に本当に長い道のりだった
相手に不必要に感謝し素敵な人に見てしまう。
これに対しての違和感を10年前から完全に感覚で気づいても、違和感に感じながらも
本当にありがとう~って感謝してしまう。
相手を素晴らしい人にしてしまう。祭り上げてしまう。
違和感があっても、相手を絶対等身大で見ようとしない。

自分が時間と空間の外側にある心のレベルに戻れるようになって
そこで赦しのプロセスを踏める様に
なって初めて、他者美化して行く必要から解放され、もの凄い安堵が戻ってきました。
この不必要感謝からの解放は言葉で語れないほど。

忘却のベールの上の時間と空間のにある
に入って、本当の原因のレベルでの「罪悪」を取り消していかない試み
こんな形態をまとうこともあることを知っておくことは実践していく時、役立つかもしません。

結構、この不必要な感謝
自分の「闇」を見て行かないで済むことにかなり役立っていて
惨めさ自分へのもの凄いえげつなさと向き合わないで済むのです。
「感謝」も相当な隠蔽行為だったりします。
「感謝」することで自分の「闇」を隠し持つ試みもありますが、

自分を光としていくケースは周りに闇を見ることで自分の闇を直視しませんし
自分を闇としていくケースはそのことで自分の本当に原因のレベルでの本当の「闇」を
直視していかないことに役立っていますし、
忘却のベールの上の原因のレベルでの癒しに、いかないようにする私たち自我の試みも
忘却のベールというだけあって、相当な分厚いベールだと実感します。
まず、原因のレベルでの癒しは時間と空間の外っていうのも
赦しの実践をコツコツ本当に意欲を持って、そうしたいと思って実践して理解されて
いきましたが、結果のレベル赦している気なっていたら・・・・
自分の決断で恐れや罪悪を生じさせていることにいつまでも気づかないなら・・・
いつまでも外の現象によって癒されるという錯覚にしがみ付いていくことを
止めないなら・・・・
この奇跡講座の教えている内容を誤用して、この地上にユートピアを築こうとする
試み歪曲して実践していくなら・・・

ある学びのプロセスの時のレポートですが、
ワクワクに動くことで出て来るものを手放すと目覚めていけるという
コンセプトをスワットの様に実践をしていたのですが・・・・
ある時、粉砕するように・・・・そうだったのか・・・驚愕・・・自我としての私の目覚めは・・・・
自我の「目覚め」とは・・・自分の望む現実を作れるようになること・・・ 確かに・・・納得


奇跡講座の内容を希釈して世界のレベルに引きづり下ろして
この世界が変わることに希釈してしまった実践は
幻想から幻想にシフトしていくことしか出来なくなり
真の癒しへ繋がっていく赦しの実践を希釈してしまっているので
そこでは「真の癒し」起らないし「永続的な心の平安への癒しの道」には繋がらないのは
希釈・歪曲された内容の実践をしてきてきた者としては
体験からも微塵もそこには「救済がない」事は実感からハッキリ言えるのですが
何でもその時、その時教義を真剣にやってみることは、必ず、あるゴールに行き着くので、
まずは、とにかく自分の目の前に用意されている全てを真剣に頑張ってみることは
幸せに繋がっているんだと感じます。
希釈した実践の結果は形態のみが形容していくので真の癒しとは程遠く
状況を好みのものに変っていくために一生、不快感を捉えて手放していく作業で徒労になります。
現象を変えていくために使っていくしかなくなる袋小路となります。
奇跡講座内容は、実践内容希釈しないで、実践していければ、裁きは無くなっていく方向に行きます。
状況の左右されない心の平安がどうゆうことかを知っていく方向に向かいます。
しかし、内容を希釈していまうと、まるで、不快感の原因を外にみていないない実践が
状況を変えていける方向に向かってしまいます。うまくすり替えられているのですが
要は、状況を変えていくためのスキル的なものにしてしまっているので
自分が忘却のベールを超えて決断の主体であることに気づけません。
不快感を扱っていくと現実は好転していくことはありますが、そこに捉われるような
自我の解釈に気づかず、実践を希釈して、自分の好きなことを体験出来ることに
歪曲してしまうなら、自分が決断の主体であり、心であり、
恐れを作り出している張本人だと気づくところまでいけなくなってしまうので、
真の癒しからは相当かけ離れます。
問題はこの世界にないことを自覚させ、真の自己を思い出して
世界を消滅させることの出来る動きの奇跡講座の内容を、
この世界を平和に変えていく動きに匠に誤用したり希釈してしまったりして実践すると、
真の癒しとは別方向に向かいます。
私たちは投影から生じている知覚に捉われているので、世界が消滅していく。と聞くと
自分が消えてしまうという恐怖を覚える様になっています。肉体との一体感を手放すことに
対する恐れが、その一体感を支える思考体系を維持しているのです。
自分の自我というものが、本当に幻想を維持したいと思っていることが
100まじりっけないことを自覚しないと余りに容易に夢を見続ける方に誤用していきます。



自分の決断が「恐れ」「罪悪」を生じさせている原因だと気づくことは
壮絶な惨めさ欠乏感一切外で取り消して行こうとしなくなるので
本当に心がもの凄い癒されていきます。これこそ、ホントにエキサイティングです。

私たちの関係性の多くが、蓋の為であるし人付き合いも殆どが、蓋。
でも、それが変容していく体験は言葉には語り尽くせない感動があります。
奇跡講座の助け舟である内容を実際に使って実践出来るようになるのは
論理の曲解ない理解が重要です。

沢山超えていくハードルがありますが、本当にエキサイティングです。
レベルの混同
本当慎重にしっかり、区別が出来るようになる事もポイント重要
罪悪感が愛を感じなくさせている防壁ですが、その本当の罪悪に取り組まないために
この世界があるわけですが、「この世界は幻想」だからといってそれを否定しても
何の意味もないという点
が本当に理解されていくところも赦しの実践をしていくと
それが意味するところがハッキリ認識されて行く点も大きな特徴です。
自分の判断で恐れや罪悪感を生じさせているのが理解されることが起きて行くので
状況を原因にしていかなくなるので「他者への不親切」から解放されていきます。
これは本当に言葉にならない体験です。愛が流れ出るのを妨害しないという感じです。

パートナーが蓋・人付き合いの動機も蓋だからと言って
人付き合いをしないとか、孤立していくとかそうゆう風に非常識になっていくことではない
という点は本当に実践していく中で非常に重要。

生命保険をかけないことでもなく、家の鍵をかけないことでもない。
この世界に幸せを求めてはいけない。ということではない。
しかし、この世界に元々幸せなどない。と気づくことは賢明な道
この世界を否定するのではなく、全てのシンボルに奇跡講座の教えている概念を当てはめて
実践していけばいい。常識見失う事無く、普通に生活していく中に確実に実践されていく
本当に「質実剛健」体験は本当に言葉を超越しているのに、体感に魅了されることもない。
本当の奇跡講座を学ぶことは、堅実で着実で、飾りや虚栄もなく確実であり誠実で
本当に地に足が着いて、もの凄く地道でコツコツしているのに、すご〜〜く楽しい。


原因のレベルで癒しを受け入れる実践が始まる時、奇跡講座の内容がどれだけ半端じゃないか垣間みる


本日の実践の一言 不必要な感謝を多大にしていませんか?他者を美化していませんか?

 

テキストの再読と解説の再読&再視聴は日頃の赦しの実践を本当にサポートしてくれます。


 

 

今回の記事のライター  栗原みか

現象が好転していく事や望んだものが現れる中に「救済」や「自由」があるという大前提でスピリチュアルをスタートして、不快感を扱っても現象だけが好転していくだけで、自分の中に実は緊張があり苦痛があり裁きがあり
実際には、不幸だという事実に直面し正直にならざる得なくなる。
その時、現れたのが奇跡講座!!奇跡講座の今の現状は水増しが殆どという点と奇跡講座ワプニック氏の解説から奇跡講座が教えている内容を希釈なく学び実践していくように!という注意事項が記載された奇跡講座を紹介導入している「神の使者」という本がワンセットとなり私の元にやってきた。

大好きな場所:セドナ

 

 

 

 

 

 

 奇跡のコース(奇跡講座)を友に学ぶ3ヶ月コース。”神・真の自己を思い出す時間”

 

 

 

 

 

 

第11話 ファーストステップ怒りの取り消し

上記の絵、通常の私たちの在り方ですね。攻撃は色々な形態を取りますが・・・
第12話 見抜け!!不必要な感謝

上記の絵、よ〜〜く胸に手を当てて感じてみると心当たりありませんか?

第13話 奇跡講座の内容を希釈すると真の癒しの道から脱線していく。(その1)

私たちは誰もが幸せを求めていますし、幸福でありたい。と誰もが思います。

第14話 奇跡講座の内容を希釈すると真の癒しの道から脱線していく。(その2)

前回の続きとなります。自我は、この世界の幸福とされるものが相対的な概念でし・・・

第15話 もう「真の原因の罪悪感」に取り組んでもいい

「他者や状況の性にする生き方」が、実際どれほど自分たちを熾烈痛みと・・・

 第16話


   

                             

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